シナトラが歌った方法
Lullaby in Ragtime by Nilsson
ニルソンのNilsson Sings Newmanは、わたしの「棺桶に入れたい13枚」の1枚ですが、Harryや、このLullaby in Ragtimeが収録されたA Little Touch of Schmilsson in the Nightも、棺桶が「付き馬」のような「頭抜け大一番」サイズで、130枚入るならば、やはり入れてもらいたいアルバムです。
そして、Lullaby in Ragtimeは、わたしの鼻歌ベスト・テンの1位に、この20年間ぐらいずっと居坐りつづけているほど好きな歌です。そのわりには歌詞の意味を気にしたことがなかったのですが、それはたぶん、たいした意味はないからだと思います。でも、念のために、細かく見ていくことにしましょう。
◆ サンドマンふたたび ◆◆
以下はファースト・ヴァース、というか、構成がよくわからないのですが、とにかく、はじめに歌われる部分です。
Won't you play the music so the cradle can rock
To a lullaby in ragtime
Sleepy hands are creeping to the end of the clock
Play a lullaby in ragtime
You can tell the sandman is on his way
By the way that they play
As still, as the trill, of a thrush, in a twilight high
わたしの鼻歌オールタイム・ナンバーワンになるくらいだから、音韻がいいのは当然ですが、こうして改めてみると、記憶があいまいでナンセンス・シラブルに置き換えて歌っていた箇所は、ちょっと意味がとりにくくもあります。
「ラグタイムの子守唄で揺り籠が揺れるような音楽をやってくれないかな、時計の端に眠気をもよおした手がそっと忍び寄るように、ラグタイムで子守唄をやってくれ、黄昏時のツグミのさえずりのように静かなプレイのしかたで、サンドマンがもうじきやってくることがわかるよ」
いやはや、日本語のリズムがガタガタなのはご容赦を。By the way that they playなんて表現は、日本語がもっとも苦手とするもので、わたしのせいというより、日本語の性質のせいなのです。byとwayとplay、theとthatとtheyという組み合わせのおかげで、ここは音韻的に非常に面白く、また、歌って気持ちのいいところなのですが、音を取り去って、意味だけ書いては話になりません。
アウトテイクを集めたCD、A Touch More Schmilsson in the Night。It's Only a Paper MoonやI'm Always Chasing Rainbowsなど、A Little Touch of Schmilsson in the Nightから外された曲がはじめて陽の目を見た。Lullaby in Ragtimeのオルタネート・テイクも収録されている。
twilight highというのも響きのいい言葉の並びです。ツグミ(にかぎらず、たいていの鳴鳥がそうですが)は朝夕に啼くので、気分がハイになって、という意味でtwilight highといっているのでしょう。
「サンドマン」すなわち眠り男(E・Th・A・ホフマンの短編に「砂男」というのがありましたが)については、ボビー・ジェントリーのMorning Gloryのところでふれました。
◆ 銀色の月ならぬ、銀の音色 ◆◆
つづいてセカンド・ヴァースまたはヴァースとコーラスの一体化したもの。
So you can hear the rhythm of the ripples
On the side of the boat
As you sail away to dreamland
High above the moon you hear a silvery note
As the sandman takes your hand
So rock-a-by my baby
Don't you cry my baby
Sleepy-time is nigh
Won't you rock me to a ragtime lullaby
「夢の国に向かうボートの舷側に寄せくるさざ波のリズムが聞こえるだろう、サンドマンが手をとると、月よりも高くに銀の鈴のような音色が聞こえるだろう、だからお眠り、わたしのベイビー、泣くんじゃないよ、わたしのベイビー、おねむの時はもうすぐだから、ラグタイムの子守唄に合わせてわたしを揺すってくれないか」
オリジナルのA Little Touch of Schmilsson in the Nightに、アウトテイク集の曲を加えて集大成したCD、As Time Goes By。いまはこれがとってかわってしまったが、やはりオリジナルの選曲のほうがよかったと感じる。
どちらかというと、このヴァースのほうが好みですが、最後に、ベイビーではなく、自分を揺すってくれといっているのを、何度も歌いながら、気づいていませんでした。子どもを寝かしつけようとして、大人のほうが寝てしまうというのは、川柳や落語のネタなので、そういうようなことなのだろうと、笑って自分のうかつさも見逃すことにします。
あとは弦の間奏があり、So rock-a-by my baby以下をくり返すだけで、もう新しい言葉は出てきません。
◆ 伝統の底力 ◆◆
このアルバムはリリース時点では買わず、数年後に聴いたのですが、それがかえってよかったように思います。十代では、ゴードン・ジェンキンズのアレンジを聴く気分にはこちらがなっていませんし、また、聴いても、古くさいオーケストラ音楽と思っただけで終わったと思います。
じっさい、リリースから数年後にはじめて聴いたとき、このアルバムのオーケストレーションには、ベッドから転がり落ちるほどの衝撃を受けました。ロックンロールがポピュラー・ミュージックの世界から吹き飛ばしてしまった「伝統」の力に驚いたのです。70年代にこれだけのアレンジとアンサンブルが実現できたというのは、ほとんど奇蹟ではないかと思います。ゴードン・ジェンキンズが健在だったことと、ハリウッドがつねにこうしたタイプの音楽を必要としていたために、伝統が保持された結果だろうと思います。
わたしのようなほとんど純粋培養のロックンロール小僧が、大人になってこうした音楽にストレートに反応したのは、たぶん、子どものころに見たハリウッド製ミュージカル映画とディズニーのアニメーション映画のおかげでしょう。ジェンキンズのアレンジは、そういう時代の匂いを濃厚に伝えながら、古くささのない、新鮮な響きを生み出すことに成功しています。
ディジタル・シンセサイザーというのは、音楽をつくる道具としてはあまりにも雑駁ですが、音楽を分析する道具としてはこれ以上のものはないと思います。かつてMIDIで、ジャック・ニーチーのThe Lonely Surferや、ジョン・バリーのGold Fingerのオーケストレーションをコピーしてみたのですが、わずかな曲をやっただけでも、じつにいろいろなことがわかりました。
なによりも啓発的だったのは、フレンチ・ホルンという楽器は、ピッチによっては沈んでしまう、ということがわかった点でした。友人にきいたところ、クラシックではそれは常識で、たとえば、フレンチ・ホルンの1オクターブ上に薄くフルートを重ねるなどの処理によって輪郭をつくり、沈むのを防ぐのだそうです(ハリウッドのスタジオのやり方を連想された方もいるでしょう。そう、フィル・スペクターやブライアン・ウィルソンがやったことに通じるのです)。
オーケストレーションというのは、こういう小さな知識を経験とセンスによって組み合わせ、目的の効果を上げることなのだと� �います。ゴードン・ジェンキンズは、生涯、そういうことをやってきた人ですから、クラシックではなく、わたしが小さいころから親しんできた映画スコアのイディオムを、ニルソンのこの盤で集大成したという印象で、それで、はじめて聴いたときに衝撃を受けたのだと思います。
左からビリー・メイ、フランク・シナトラ、ドン・コスタ、ゴードン・ジェンキンズ。ニルソンがこのアルバムをつくるにあたって、シナトラを意識しなかったはずがない。
もう、こうした音楽が顧みられなくなっていた時代ですから(73年になにを聴いていたか思いだしてください、ゼップとかディープ・パープルとかだったりするんじゃないですか? わたしはカムバックしたビーチボーイズを徹底的に聴いていました)、ゴードン・ジェンキンズは、これを遺作にしようというくらいの気組みでアレンジしたのではないかと、わたしは考えています。けっして力みは感じませんが、隅々にまで神経がゆきとどいた、じつに気持ちのよいオーケストレーションです。
プレイヤーもみなうまくて、これまた伝統の力を感じます。ギターはアコースティックですが、いわゆるフォーク・ギターではなく、ピックアップを通さないフルアコースティックのジャズ・ギターの生音です。このサウンドがまた、当時の わたしには新鮮に響きました。かつてラリー・コリエルが、他人のソロのバックでよく使っていたのを思いだしたのですが、このニルソン盤のギタリストは、コリエルのような若造ではないでしょう。ジェンキンズがシナトラの録音でも起用したプレイヤーじゃないでしょうか。ドラムもシナトラの盤と同じタイムのように感じます。
◆ 60年代的ヴォイス・コントロールの集成 ◆◆
ニルソンという人はじつに歌がうまいのですが、「わたしの時代」のシンガーなので、「歌いあげる」ことはめったにしません(Without Youのシャウトは例外中の例外)。とりわけ、戦前の曲をカヴァーしたこの盤では、歌いあげたりすると、一直線で古代にジャンプしてしまうので、注意深く、じつに注意深く抑揚をコントロールしています。
ゴードン・ジェンキンズとハリー・ニルソン。49人編成のオーケストラだったというのだから、ハル・ブレインが「飛行機の格納庫のようにだだっ広い」と表現した、ハリウッドのRCAのAスタジオだろう。「クラシックのRCA」を支えたスタジオである。
ソングライターとしてスタートした人なので、彼の盤を聴くこちらも、ふつうはまず楽曲の出来を気にするのですが、このアルバムはすべてカヴァー曲ですから、ニルソンがいかにスタンダードを歌うかに興味の焦点がきます。彼は十分にそのことを意識して、最初の発声の強さから、語尾の延ばし方と「呑み込み方」にいたるまで、慎重に計算して歌っています。
となると、どうしてもシナトラを連想するわけですが(じっさいニルソンは、ジェンキンズが書き、シナトラも歌ったAll I Askもこの盤でカヴァーしている)、やはり、ニルソンは「わたしの時代」のシンガーだと感じます。その時代がどういう時代だったかという知識と想像力を駆使しなくても、彼がやろうとしていることはすんなり耳に収まるのです。
シナトラを聴くときは、この時代はこうだったのだろうから、ここをこう歌うのは、たぶんこういう意図なのだろう、などと考えるときがあるのですが、ニルソンについては、まったくそういう努力がいらないのです。ただただ、うんうん、そうだ、ハリー、その調子だ、俺たちはそういう風に歌うのが正しいとされる時代に育ったよな、とうなずくだけなのです。涙が出るような経験なのですよ、ニルソンが真剣に昔の曲を歌うのを聴くのは。
ハープの弦越しのハリー。このアルバムでは、全曲、オーケストラといっしょに「ライヴ」で歌ったという。これまたシナトラのやり方、伝統的な録音方法である。
アルバム全体を聴き直していると、これも墓場までもっていく13枚に入れるべきのような気がしてきました。わたしが知っているアメリカ音楽のよさが、最後の光芒を放った一枚ではないでしょうか。
◆ ラグタイムの子守唄? ◆◆
ラグタイムというのは、わたしが理解しているかぎりでは、テンポが速めで、どちらかというとにぎやかな音楽スタイルのはずですが、ニルソン盤はスロウ・シャッフルのアレンジです。にぎやかな子守唄というのが、そもそも矛盾しているように思うので、いかにも子守唄らしい、ゆるいグルーヴのニルソン盤の解釈は正しいのではないかと思います。
Lullaby in Ragtimeのオリジナルは、映画『五つの銅貨』でのダニー・ケイの歌で、ライターはケイの夫人だったシルヴィア・ファインです。この映画を見ているのに、この曲についてはまったく記憶がありません。記憶がないということは、わたしの好みではなかったということなのだと考えておけばいいわけで、ニルソン盤がなければ、この曲に注目することはなかったでしょう。
ただ、この曲のコード・チェンジはなかなか面白いところもあって、かなり腕のあるソングライターなのだろうと感じます。盤はもっていないにしても、『五つの銅貨』のVCRはどこかにあるはずなのですが、見つからなかったので、オリジナルの検討は、いつかべつの日に。シルヴィア・ファインの他の曲を検討する機会もあるのではないかと思います。
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