HARRY’S ROCK AND ROLL VILLAGE
劇中でロックを多く聴くことが出来るアメリカの青春映画といえば、73年の「アメリカン・グラフィティ」、
82年の「初体験リッジモント・ハイ」が即座に思い浮かぶ。どちらも、車と女の子がふんだんに登場し、
ダンス・パーティーのシーンもある。高校を卒業し旅立つ過程、或いは興奮の一夜を描いているのだが
日本の田舎に住む私には、何とも相容れない眩しさがあった。
私はL- O -V -Eの少しを得ることができます
大体、高校生にしろ大学生にしろ、車に乗るという文化というか習慣が私の周りには無かった。
高校生だと、バイクの免許を取るのが関の山だったし。
大学生になって車に乗っているのは余程の金持ちか、車に乗らないと大学に通えないような田舎者だった
ように記憶に刷りこまれているのは私の偏見かもしれないが。
私が通った大学は京都にあるのだが、その京都の大学生を描いた80年の映画「ヒポクラテスたち」、09年の
「鴨川ホルモー」を見ても大抵の若者は自転車に乗っていて、車に乗っているのはそれほどいなかったはず。
まあ、アメリカ映画に登場する若者も、乗っているのは自分の車ではなかったし、京都市内だと車なんて
全く必要なかったというのも事実。私が住んでいた処を更に更に北に昇れば、ちと寂しい感じになったもので
バイクが必要だったかもしれない。
トップガンのyouveは
掲載写真はジャクスン・ブラウンの『SOMEBODY'S BABY(誰かが彼女を見つめてる)』。
映画「初体験リッジモント・ハイ」で使用された曲で、ラジオでも頻繁にかかっていたこともあって気にとめた曲だ。
このシングルを買った時点では映画は見ていなかったのだが、その邦題とフィービー・ケイツが出演していることで
バカな若者達(つまり、私たちです)は、いろいろとつまらないことを考えていたのは言うまでも無い。(笑)
シングルのライナーには「リッジモント物語(仮)」からのシングル・カットと書かれている。
トップCDの6月を行うためのブルース
「アメリカン・グラフィティー」のサントラには随分とお世話になったが、「リッジモント・ハイ」のサントラを
買うことは無かった。今振り返ってみても好みのミュージシャンや曲が少ないのが、その理由で『SOMEBODY'S
BABY』はジャクスン・ブラウンのオリジナル・アルバムには未収録なので買ったのだということを思い出した。
あの面子の中に、せめてウォーレン・ジヴォンでも入っていればと皮肉交じりに思うのだが、お気楽な映画に
あっては浮いてしまうだろうから、仕方あるまい。
「リッジモント・ハイ」は今見ると配役が面白い。ショーン・ペンはお気楽なサーファーだし、端役のニコラス・ケイジは
改名前のニコラス・コッポラだし。「アメリカン・グラフィティー」も撮影当時はハリスン・フォードもロン・ハワードも
無名だったから、人に歴史あり、である。
映画の最後に登場人物の「その後」を端的に記すというやり方が、どの映画から始まったのかは知らないが
「アメリカン・グラフィティー」も「リッジモント・ハイ」も、そんな終わり方である。
「リッジモント・ハイ」でのショーン・ペン演じるサーファーのジェフには「溺れたブルック・シールズを助けた謝礼金で
ヴァン・ヘイレンを誕生パーティーに呼んだ」というオチがある。
そう言えば。
ヴァン・ヘイレンの『HOT FOR TEACHER』のプロモ・ビデオのエンディングも、メンバーとビデオの主人公の
少年の「その後」が記されていたなぁ。
で、映画「ヒポクラテスたち」。この映画のエンディングも登場人物たちの「その後」が記されていて、初めて
この映画を見た時、映画中ではそんな予感を感じさせなかった伊藤蘭演じる女子学生の「その後」がショックだった。
これがポルノ映画以外では初主演でもあった古尾谷雅人の人生の最期を思うと、何となく「ヒポクラテスたち」の
エンディングが蘇ってきて、ちょっと悲しくなるのであった。
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