中村 正八さん|証言|NHK 戦争証言アーカイブス
兵隊にいかなんちゅうことはあの国民の三大義務でさあ、せやで必ず20歳になったら兵隊に行かなんちゅう意識はありましたわな。必ずいかなんと。兵隊に2年間はいかんなんという意識はありましたな。
Q:行きたいかどうかは関係ない、行きたかったわけではないですかね?
そうそうそう、もういやでもこうにもいかなんだもんなあ。あの甲種合格すれば、あの体が悪くて行けやん場合は仕方ないけども、それ以外は健康体やったら必ず行かんならんで、そういう事情でしたな。
Q:中村さんは行きたいと思ってましたか?
行きたいとは思っとらないけども、必ず行かんならんとは思ってましたわな。
まあ官費旅行のつもりでおりましたわな、あはは。知らん土地になあ、2年間の約束やもん、それが5年間になってしもたんだもん。なあ、2年間行ったら帰ってこれるという意識がありましたやんなあ、それが昭和17年(16年)の大東亜戦争が勃発してさ、おじゃんになってしもうてまた3年追加しちまったんやな。それだけのことです。反戦意識も全然、そういうことはありませんわな。反戦意識って全然なかったなあ、なんで戦争しとるんや、というそういう懸念だけ。そうやんな、私にとってはな。なんの戦争かわかりませんだ。
目的ってのは全然伝わってこないもん。ただ、天皇陛下のために、お国のために尽くせっちゅうだけの信念だけやもん。それだけ押し付けられとるわけです。それだけのことです。反戦意識� ��全然そういうことは、影にも思ったことはない。戦争いやだなあっていう意識は全然なかった。
今の大阪南港、南港から出航しましてね、瀬戸内海を経由して、プサン(釜山)経由で塘沽(タンクー)っていう港へつきましたよ。塘沽って零下25度くらいでしたよ。私な、ぱたーんと倒れてしまうてな、気ついたらどっかへ運ばれて、運びこまれとった。パターンと倒れるんやもの。
Q:なんで倒れた?
寒さで。零下25度くらいやった。無意識にばたーんと倒れるんやもん。あれびっくりしたなあ、すぐに意識回復しましたけどな。
それから結局まああれはタンクーは北京の端ですもんでな、それから列車に揺られて山西省、山奥へ行きました。コトンコトンと一昼夜かかって。
Q:ついて初めて山西省って わかった?
そうそうそう、行って初めてわかった。ついて初めてわかった。
Q:そのときの気持ちは?
そのときの気持ちですか。気持ちって、みんな一緒に来たんやからね、みんなおんなじ心持でっしゃろ。同僚が横にいるさかい気強いことは気強い。自分ひとりじゃないから。それは大丈夫でしたわ、一人ぼっちっていうことはないがな。団体で80人の三重県から80人のもんが寄り集まってきとんのやさかい。それは全然なかった。
Q:独混旅団の任務は?
山西省の治安維持。治安維持よな。共産軍とのいさかいを抑えるための治安維持よな。それだけのことです。
Q:前線で作戦任せられるという感じではなかった?
そんなことない。それはなかった。ただ共産軍があっちゃこっちゃ出没します やろ、それを押さえに走りまわっとっただけのこと。
大変でしたなー。みんながやるさかいに自分もやったけども、それはもう大変でした。泣きたいくらい、そのときにやっぱり帰りたいっていうような意識が芽生えとったけども。もう帰りたいなあっていう、内地に帰りたいなあっちゅうあれが。
大体向こうに着いて3か月くらいは大丈夫やってんけどな、3か月こえるとな、厳しい、訓練も厳しなってくるし。やっぱりそういうなあ。帰りたいっていう望郷の念っちゅうかな。それは確かにありましたな。
Q:なんで帰りたくなっちゃうんですか?
やっぱりあの、自分は妻とか子供はないけども、親心配になんねん。私は特になあ、郵便局が休職でしたもんで、お金のほうは全然入ってこなかった。お金の援助が全然なかったもんでな、病気が心配でしたわ。
それであの、軍隊8円80銭の給料の自分から毎月5円ずつ、5円仕送りしました。5年間ずっと続けて、仕送りだけは1回も忘れんとな、やってました。まあなあ、せめて生きて帰るぞっていう意識はあったなあ。
バリー·ホワイトはに何ムービーを再生した
ほかにはかえる飛びっちゅうて、こう半分こうなこういう具合になってこう飛ぶやつがあるん、それで1キロばかやらされるやつがあるん、ありゃあえらかったなあ、かえる飛びっちゅう。きつかったあれは。
そりゃあほふく前進はええよなあ、けどかえる飛びだけわな、これにきますもんなあ。えらかったあれは、みんなやるさかいにやった。
Q:体力的にしんどい?
そうやんな、精神的もあるけどもな、自殺した人もありますけどな。精神的にまいって。同年兵で、もう入ってな3月くらいで、これして、首つり自殺。それが2人ばかりいました。
Q:理由はなんですかね?
やっぱり精神的なあれやろな、圧迫やろうなあ・・それしかありまへんやろ。我々は耐えてきたけど、それをよう耐えてこんだ人がなあ、やっぱりなあ自分で命を絶つっちゅうことやわなあ。弱弱しい男やった、ちょっと精神的に、精神的にまいったような顔した人やった。
Q:じゃあ同年兵の人が自殺したときは何を思った?
いや、な� �とも思わなかったんだけどなあ・・・そういうこともありうるんやろなと思う、それだけのことです。別に詳しくも知らせなかったもん、ひそかに処理してもうたわ。その分隊の人から聞いて初めてわかったんやけどさ。本当の事実は、事実は知らないもん。
Q:隠されてるんですか?
隠されてる、全部隠されてる。そりゃあもうな、何もかも隠ぺいの世の中やな。
訓練厳しいけどもまた、楽しいとこもありました。休みあるもの。酒保(軍隊内の売店)行ってさ、酒保ってご存知ない。そう酒保な、酒保いって一杯飲んだりさ、ぜんざい食べたりうどん食べたり、そんな楽しみがありましたわな、8円80銭の給料から。一番初めは8円80銭やもん。
Q:街に出かけたりも?
いやああ、はじめのころはできない。山西省ではあきまへんやろ。山西省山奥で、周り城壁でかこわっとる中おるんやねんでや。外に出るっちゅうことはめったにない。鉄砲もってたら出るけども、鉄砲もっていない間は出られん。
Q:危険なんですか?
危険。それはそうやがな、全部中国人ばっかりやろ、共産軍やって中国人やろ、服装一緒やろ、便衣のあれを着とるだけのもんやでな、わからんやろ、 敵味方っちゅうか敵は全然わからん、せやでうっかり出られん。
宣ぶの効いたとこやったらよろしいやけどもな、宣ぶの効いてないとこやったらちょっと危険や。
Q:一応占領地ってことになってはいた?
そうそうそう、治安維持区やな、治安維持区っちゅう地区やな。そういう状態の土地やな。
Q:それでもちょっと出るとあぶない?
もうあかん。共産軍のあれやもの。
Q:じゃああんまり占領できてなかった?
完全にはな、完全にはなってなかった。北京あたりはよかったけどな、山西省みたいな山奥まではそんなこといかんもの。北京だとか天津な、上海とかそんなとこはさ、完全にもう掌握されてたからよかったけどな、それ以外の山奥ではそんなこと全然ない。
討伐はほんとにな、怖いような話だわな、全然状況のわからんとこに突っ込んでいくんでな、村民の情報、探偵っていうか密偵っちゅうやつがありましてさ、その情報を、うん、密偵っちゅう密探(中国語)って言いましたけどな。その情報だけを頼りに奥へ奥へすすんでな、そいで危ないことは危ないでな。
Q:それ行った先は何があるんですか?
共産軍が逃げてったとこらへんやわな。ただ、村民を宣撫(ぶ)していくってなもんで、あの共産軍信じたらあかんよ、日本軍信じてくださいよっていう宣ぶをせなあかんのよ、それだけのことよ。
Q:戦闘もそんなないんですか?
いやあ、たまにありますわな、たまには。撃ち合いすることもあるわな。どちらもどちらでな、兵器は貧弱なもんでな、両方とも兵器だけ は貧弱なもんやった。
Q:何回も討伐に行ってましたけど、多くが行っても誰もいないという状況なんですか?
そうそう、誰も相手おらん、逃げちゃっておらん。
Q:なんで逃げられるのか?
あなたは誰を介してですか?
結局あれやろ、村民の情報を入ってくるんわ入ってくるんやけどもさ、それが遅いだけのもんやろ。今の共産軍がうちの村に入ってきてるよ、っていって伝えてきた時分にはもう向こうに逃げてっておらへんっちゅうことよ。後間後間(後手後手)になっとるわけよ。一方で撃ち合いせえへんな。ま、そんなことの繰り返し。繰り返しが主やったな。
Q:八露軍のほうもやっぱり情報を集めてる?
そうそう、こちらが集めるとおをな、向こうは向こうの密偵が入ってきて、向こう多いもん、村民中国人ばっかでもん、村民そのものがあっちついたりこっちついたりしてるわけ、情報をさ、あっちの情報をこっちに持ってきたり、こっちの情報を向こうにいっ たりそんな繰り返しばっかり、せやで鬼ごっこみたいもんやな。
Q:住民が敵になる可能性もある?
うん、ある。それは確かにある。宣撫(ぶ)の仕様がない、あんまりひどいことするとな、反感もたれるもん。あの、無理やりにさあ食料調達したりさ、するとさ反感もたれるもん。強かん、強盗な、そんなことしたら絶対反感もたれる。うちの中隊はそんなことなかったですもん。
Q:女性は襲われるってこともあったみたいですね
あったあったな。私の部隊ではそういうことはなかった、1中隊ではな、1中隊では絶対なかった。
Q:間接的にはそういうのを聞いた?
やっぱり上の指揮官によるな、あんまり放漫だとそういう結果になるんちゃうん、ある程度厳しい取り締まってかんと、なあ。その1部� ��の名誉にかかわることやからなあ、ある程度上位にたったひとが取り締まってかんとあかんやろなあ。
一応、治安地区ですけどな、治安地区やったけどもなあ、3中隊を救援のためにこちらから行ったわけさ、それで3中隊を援護して帰りしなに興道村でやられたわけ。僕らは疲れてないけども、3中隊がつかれとったもんでやむを得ず、そこで宿営したのさ。それが悪かったん。他の中隊はな、ぴんぴんで元気やってんけども、3中隊が毎日のように敵に襲撃されてへとへとやったもんで、そんで興道村で大休止したわけさ、それが悪かったん。めちゃくちゃにやられたん。
Q:戦死者もでた?
戦死者もでた、捕虜もでた、出ました。もう私命からがらやったもん。詳細のほどはわかりません。詳細は私知りませんねん。興道村な。本当にあの、興道村はあの、本当の思い出のあれやな、心に残るあれでしたなあ、三日三晩飲ま� �食わずで過ごしたやもん、みんなほうってきたもん、山の上に逃げるに行った、みんなほうってきたもん鉄砲だけもってきてさ、身ぐるみみなほうってきた、食料もなんにもあらへんでや、三日三晩喰わず、飲まず食わずですごした。
それでやっとこさその巻きながら山登りして、避難したさかいに方角がわからなんでしもうた、方角が。それで、その山を下りて本隊の方へ行こう思って、同士撃ちしてしもたん。日本軍同士が撃ちあいしてしもうたんさ。そういう事態が起きてさ、突破口がないような感じになってしもうてな。
Q:八路軍の戦術は?
ゲリラ。ゲリラやな、ベトナム戦争なんかと同じ、あの様式やったな。
Q:具体的には?
あの、普段さ百姓のふりして畑やっとりますやろ、それが急に鉄砲に変わるわけやな。あの鍬と鉄砲と両方もっとるわけやな。鉄砲地に埋(い)けといてさ、一生懸命やっとるわけでさ、ほいでくらあやったるかあ、言うたらすぐ鉄砲掘り出してバンバンっとやったりね。側にようけおるしさ、相棒が横におるでさ。そういうゲリラ的な戦いが主。
正常にさ、鉄砲もって行進してパンパンと撃ちあいするんやなしに、あっちパンパンこっちパンパンやな。そんな状態。
Q:油断できないですね。
油断できない、全然油断できない。信用もできない。話の具合、対等にやっとっても、話の具合によっ� ��はさ、すぐパーンとやられる場合があるで、狙撃される場合があるなあ。
共産軍ってそんなもんやで。
Q:敵と味方の見分けはどういう風にしてた?
それはどのように甘いです、マーヴィン·ゲイ
ちょっとわからんだな、見分けはつかなんだな。見分けは全然つかなんだな、そやで普通の村民がやられるわけやわな、見分けつかんださかいに、一般村民犠牲になるわけよなあ。あれだ、鉄砲っちゅう鉄砲はさ、もっとらへんのやで、あっちゃこっちおいとるわけやで。隠してあるわけやで。せやで、わからんわな・・・。
拷問な。タオルこうしてさ、水じゃんじゃんじゃん、腹ポンポン膨らんでくるよな、そんな拷問やっとった。吸い取る一方やもんな、タオルこうして水じゃんじゃんしとったら、吐くよりは水出ていかんさかい吸い込むばかりでここおなかがポンポンにはれて、で大概白状するやつもおったけどな。
下手に白状したらやられるもん。
Q:やられるっていうのは?
日本軍にやられるもん。殺される。そういう羽目におちいることもあったわな。
Q:白状しないと殺される?
白状しても、殺される場合がある。どっちみち殺されるもん。こちらで白状して八路軍に行ったら殺されるやろ、おんなじことやな。こちらで殺されるか向こうで殺されるかの違いだけやろ。それはありましたな。
Q:中村さんも見た?
うん、実際に見た、あれはな。
Q:みたときの気持ちは?
しんどそうやでなあ、残酷やなあと思うだけのもんやろ。極端にはあまり感じなかったよ、当たり前みたいに。実際当たり前やはな、戦争になったらそういうことはな。
Q:それで分遣とかで一番えらい人は誰?
前線でえらい人?階級は曹長、分遣隊長は曹長。軍曹の場合もあるさかいな、それを上等兵が差配しとるだけで。
Q:じゃあ将校はいない?
将校はいない、将校はいない、大体曹長。
Q:じゃあ曹長の性格次第なところもある?
そやなあ、そうですなあ。大体12名でな。一個分隊大体12名。ひとつの分遣でおるわな。
Q:それでどれくらいの範囲を警備している?
大体、どうやろう距離でいうたら8キロ四方くらいやわ、それ以上は無理やわな、8キロ。
Q:結構広いですね。
まあ、装備もな両方ともどっこいどっこいですわ、8キロでできたもんさ、向こうも本当は向こうの鉄砲だって幼稚なもんやったもん。こっちは三八の銃だけやろ、それ� ��軽機関銃ぐらいなもんやで。大体分遣隊はな、軽機関銃が2つくらいあっただけ、そのほか鉄砲ばっかりやもんな
Q:村はいくつ見ている、分遣は?
村ですか、村はどうやろう8か村くらい、8か村くらいやわ。ぐるーっと周り8か村くらい。
Q:それを見てまわるわけですか?
見てまわるわけや、村長がな大体村長がな、毎日卵持ってきたり鶏もってきたりするんやわ、交流はあるんや毎朝毎朝、今日はA村から来た明日はB村から来るやろ、っていうそういうスケジュールが決まっとるんやわ。
日参、昔の大名やないけども、参勤交代やないけどもな、そういう具合でやってきますんやわ、お土産もってな。
Q:なんで村長は来るんですか?
いや、村長って結局村を握っとるわけやろ、情報握っとるわけやろ、村長しかないもん。
Q:日本軍ってのは敵の国だけどもなぜ来る?
なんで来るってやっぱり自分の村を大事にしてほしいってなて、誰しもそういう欲望あるやろ。自分の村あんまり煮詰めないでくださいっていう、な。敵視しないでくださいっていうあれやないんですか。それでお土産もってくるんやないですか。鶏2羽くらいぶらさげたりな、豚は、豚はこんけども、卵もっていったりな、結局そういう貢物で暮らしましたけどな。分遣隊はな。
Q:村長と交流は?
あった、あった。しょ� �ちゅう交流あった。僕は炊事が主やったさかい、食糧問題とかそういう面で、積極的にしとったでな。明日は、明日は卵がないんで、その卵ちょっと助けてくれんかっていう具合にな、そういうあれを村長とやりおった、もちろんこれは払いますよ、払いますけども明日は卵何個くらいもってきてくれ、っていうそれはありました。米や麦は日本から来るさかい必要なかったけどな、缶詰はな。
Q:当時日本軍も便衣(中国人の平服)を着ていた?
ありました。あの中国の結婚式も私ら参加しました。鉄砲持たんと、鉄砲持たんと便衣着て、あれは3キロくらいだったところかな、結婚式に参加しました。喜んでくれてなあ、喜んでくれました。
Q:それは招待されたんですか?
招待された。4人くらい。
Q:向こうはどんな結婚式を?
おもろいな。向こうの結婚式はおもろい。あの、夜花嫁と花婿と寝とるとこへさ邪魔しに行ったりさ、いろいろそんなことをな、朝おきて水かけられたりさ、そういういたずらをする風習がありましたな。もちろん、結婚式に参加するにしたら、ご祝儀だけは持っていく、ご祝儀だけはもって行きましたけどな。それでチャンチュウ(酒)よばれてそいで帰ってくるっていう、せやど も油断はならんわさ。緊張張っての、あれやで。緊張しながらいっとんのや。あの裸やもん、鉄砲もっとらんで、これもってくと嫌われるもの。
Q:結婚式ですもんね、
結婚式に鉄砲持っていけへんもんなあ。そりゃあ宣撫(ぶ)上ありました、結婚式も参加しました。
Q:それも宣撫の一環なんですね。
そうそうそう、宣撫の一環。
あれな、ええ中隊入隊してからな、あの大東亜戦争の前やったかな、朝出撃命令が出ましてな、東北の人間と静岡の人間それから徳島の人間と入り混じった部隊やったけど村民をな倉庫に押し込めてな、それでわらを投げ入れて火つけて焼き殺し。目におおうが(覆うよう)やったな。残酷なことするなあ、と私は思ってました。
Q:それはなんのために?
憎さやろな。やっぱりその憎さらしい、朝襲撃受けたらしいわ、ある分遣(隊)が、その気晴らしやろ。気晴らしのせいでそういう残酷なことしたらしいわ。鍵かけといて、わら放りこんで火つけたら、焼き殺しやわな、女は女でな、ずるずると刺し殺しやろ。
Q:なんで村民に?
やっぱ情報もってこんだってこと。あらかじめ来る(襲撃の)情報をもってこんだ 、っちゅう戒めやろな、たぶんそうやろうと思います。
Q:村民が協力しなかったからやられたと、
そうそうそう、そういう結果やろな。結果論からいうとな。
Q:村民のほうも大変ですよね。
あれ、印象に残っとるもん、ぼくは。あの焼き殺しは本当にのこっとる。むごいことをしたな、と思ってな、我々は下の一兵卒やしな、止めるわけにいかんわさ。静岡の人間でもおとなしい人間ばかりだったけどな、止めるわけにいかんわさ。そこまでせんでも、てなこといえんねん。それだけはのこっとる、いまだに。
Q:そういうのを見てどう思ったか?
戦争ってこんなもんかな、って思った。戦争ってこんなもんかな、って思っただけのこと。われわれはこんなことしないぞ、っていう意識はなかったけどな� ��でもそういう意識に通じてくるわな、あんなことまでせんでも、っていうことになってくるでな。確かにそれはありましたなあ。
もう一方的一方的なもんですわな、罰則あらへんのやで、罰則がなかったで。その部隊もうまかしきりやでな、こうしたらあかんよ、ああしたらあかんよっていうこれはなかったでな。で、まあその部隊の一方的な差配でやったんやろな。
Q:その部隊の上官は見ていない?
見てない。立派な戦争したな、っちゅうくらい。報告だけはちゃんとしてある。そういう焼き殺したとかそういうあれは全然ない。敵兵を倉庫へつめて焼き殺したよ、っていう情報だけしか、村民をやったっていうことは全然。いくらも情報を表現、表現で変わってくるもの。
ま、戦争ってそういうもんやないんで� ��か。なあ?
いろいろこれまでの戦争のあれ書き立てられとるけどもな、戦争ってそんなびびるもんやないけど、そんなもんやないんですか。
Q:殺し合いに行っているわけですからね。
まあ、それでもなあ・・目的がないような戦争やったな、確かに。上流部では目的はあったんやろうけども、我々はそんなこと全然教えこまれてなかったし。
Q:何のためにやってるかわからなかった?
わかんなかった。
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