インディアンの精神文化を伝える文献
リンダ・ホーガン著 浅見淳子訳 青山出版社
「チカソー族」作家が生きとし生けるものすべてに捧ぐ"環境シンフォニー"
何故アメリカ・インディアンの言葉はこんなにも私の心を打ち共感の世界に引
き込むのだろう。この「大地に抱かれて」の詩的な言葉は、今まで多くの迫害
により消えかかっていこうとする偉大な精神文化を甦らせ、私たちの心の奥底
に眠ってしまったある感覚をも呼ぶ覚まさずにはおかない。私がインディアン
に関心を持った初期に読んだ本だが、読み終わった後の感動は今でも心に
響いている。それはきっとリンダ・ホーガンという人間の飾らない、自然と魂か
ら出てくるその言葉とその人間性によるのかもしれない。
ネイティブ・アメリカンの女として、私は問いかけたい。
私たちはこの星の未来 に、どのような責任を持っているのだろうか。
この星を分かち合うほかの命たちに、どのような責任を持っているのだろうか。
この本に収められているエッセイは、こうした問いかけから生まれた。
人間であることの意味を、探ることから生まれた。
大地とそこに生きる命たちへの、絶えることのない愛から生まれた。
(本書より引用)
リンダ・ホーガンの言葉「心に響く言葉 1996.12.15」を参照されたし
「アメリカ・インディアン女性への賛歌」を参照されたし
アーネスト・シートン著 近藤千雄訳 北沢図書出版
「動物記」で有名なシートンが集めた北米インディアンの魂の教え。「レッド
マンの信仰は普遍的であり、基本的であり、根源的であり、本当の意味での
宗教である。」シートン。現代ではアメリカ・インディアンの文化は多くの人々か
らの共感を得るようになっていますが、シートンがこの本を書いたのは約70年
前のことです。その頃は彼らの精神文化を理解する人は数少なく、偏見と差別・
迫害の時代でした。しかしシートンはその直感により、彼らこそ神と深く結びつ
いている人々との確信を得て、その精神文化を探って行ったのです。歴史的に
も貴重な文献の中の一冊。尚、最初この文献は違う訳者により「赤人の福音書」
として出版されましたが、既に絶版となっています。
私が見るかぎり、以上のどれ一つを取り上げても、白人の文明は落第である。
インディアンが所有していた同じ大地において、あれほどの食糧を生産し、あれ
ほどの富を生み出し、ありとあらゆる原料を有し、労働力もあり、働く意欲もあり
ながら、白人文明はなぜ挫折したのか---それだけの好条件を有効に、統合的
にまとめる上で障害となるものが、どこかにあるはずである。今の西欧的物質文
明では、一人の億万長者が出る一方で億の単位の貧困者を生み出すばかりで
ある。そんな荒廃のもとでは幸福はあり得ない。世界史に類を見ない勇壮な民族
だったレッドマン、肉体的にも完ぺきの域を極めていたレッドマン、最も霊性豊 か
な文明を生み出したレッドマン---このレッドマンになり代わって私は、古き良き
時代からのメッセージをお届けした次第である。遅きに失したとはいえ、このメッ
セージが心あるホワイトマンに慙愧の念を覚えさせ、現文明を完全な破滅から救
う手立てを考えねばという気持ちにさせる機縁となれば幸いである。・・それは、
人類にもまだ救いの道が残されていることを意味するものであろう。
(シートン 本書より引用)
雑記帳「魅せられたもの」1997.6.6「アメリカ・インディアンの残虐性の真否」
雑記帳「魅せられたもの」1997.5.18「真の文明とは」を参照されたし
ベア・ハート著 児玉敦子訳 講談社
ベア・ハート(ムスコギ・クリーク族長老)は1918年に生まれ、長い修行
時代を経てメディスン・マンとなる。しかしその過程の道において、文明人
には奇跡としか表現することが出来ない現象を自らの体験を交えてさりげ
なく語っており、この分野に関心を抱く方にはとても興味深いものがあるの
だろう。ただ本書の素晴らしさはそんな摩訶不思議なことにあるのではない。
謙虚・勇気・忠誠心・慈愛に満ちた彼自身の人生そのものに、正にそこに
この偉大な聖なる魂を感じてならない。勿論私自身が次のような状況に置
かれたとき、とても彼のように祈ることは出来ないだろう。それは私とは比
べるもなく深い慈愛に立っている人だけしか言うことが出来ない言葉であり、
メディスン・マ ンとして生きることを決意した人間からの伝言である。「わたし
はこれまでに、ありとあらゆる職業の人々、なんらかの形で傷ついた人々と
関わってきて、物事を正しい方向に導くように努力してきたが、養子である
バビーが殺されたときほど、まじない師としても人間としてもつらいことはな
かった。そのような試練に、人はどう立ち向かうのか? わたしは息子を殺
した若者たちに、遠くからでも災いを及ぼすことができるような力を持っている。
だがそんなことをしたら、息子の命を奪った人間と同じになってしまう。聖なる
パイプは、復讐に使ってはいけないことになっている。そうしたことは、すべて
神の手に委ねなくてはならないのだ。わたしは心から神に祈った。"わたしは
彼らのしたこと� ��許すことができませんが、その若者たちもまたあなたがお造
りになったものです。愛について語るのなら、すべての人類を愛さねばなりま
せん。あなたにはわたしの状況がおわかりだと思います。わたしは息子を愛
していたので、今回のことを個人的に受け止めてしまっています。本当は、
あなたのようにその若者たちのことも愛したい、でもできないのです。ですか
らあなたにお願いします。わたしを通して、あなたが彼らを愛し続けて下さい
ますように。そうすればわたしにも、あなたの愛の働きを理解することができ
るでしょう。---- ただ言葉で語るだけでなく、実際の体験として」。
過去のリーダーたちが祈ったとき、彼らはいつも次の世代のために祈って
きた。「今ここにあるものから、なにを得られるか」ではなく、「これを長く続け
ていくためには、なにを加えたらいいのか」と。昔のチーフは、部族の中でも
もっとも貧しかった。狩りから帰ってくると、自分では狩りに行けない未亡人
や年寄りに獲物を与えていた。求められれば、いつでも喜んで自分の分を
与えた。自分自身や自分の家族の分などほとんどなかった。そうやってリー
ダーは生きてきたのだ ---- いかに自分の分を手に入れるかなどは考えず、
人々のために。聖書には、天国に入るために二つの質問をされると書いて
いる。「彼らが飢えていたとき、食べ物をあげたか? 彼らが裸でいたとき、
着物を着せてあげたか?」 我々のリーダーなら、こう聞かれて「はい」と答え
ることができたはずである。
(本書より引用)
羽倉玖美子 著 辰巳玲子 協力 野草社
本書は映画「ホピの予言」を製作した故・宮田雪さんを通して出会った女性2人
と子どもが、過去の自分を見つめながら、新たな旅立ちの意味をかみ締める旅
の記録である。私自身何故もっと早くこの文献を読まなかったかと後悔している。
この文献の軽妙な語り口は読者を一気に引きずり込ませる巧みさを持ち、そして
何より人生や自分の心に対しての誠実さを言葉の一つ一つに感じてならなかった
からである。この文献を書いたのはイラストレーターとして活躍する羽倉玖美子さ
んで、映画「ホピの予言を通して故・宮田雪さんと知り合う。この宮田雪さんの奥
様が辰巳玲子さんである。この� ��巳さんのお嬢さんを含めて女性3人でホピに向
かうのである。ホピではホピの予言を守る長老たちとの旧知の出会いや、それを
陰で支えてきた女性たちの姿、儀式、遺跡が語られるが、まるで読者もその場に
居合わせたような錯覚を覚えるのは、イラストレーターという職業を通して、真剣に
表現方法を模索してきたからであろう。また辰巳玲子さんも、ご主人(宮田雪さん)
が倒られてからその介護に長年関わってきたが、映画「ホピの予言」製作過程で
も宮田雪さんを支えてきた。あるがままの着飾ることのない二人の女性の生き様
がここに描かれており、心に残る素晴らしい文献である。
1999年2月に、それまで50年間にわたって「ホピの予言」を伝えてきた最後の
メッセンジャー、トーマス、バニヤ� ��カは雲の精霊になり、水の巡りの中に還って
いった。そして、予言を伝え、警告を発信する時代は終わりを告げた。ホピの残
した新しい時代へのメッセージは、「質素で、自然で、精神的な生き方」であり、
「それは一人ひとりにかかっている」ということだ。私が「ホピの予言」と出会って
から、過ぎ越しこの16年間の日々で学んだことは、「平和」の真の意味だ。人と先
を争わず、最後に残った見てくれの悪いとうもろこしを喜んで選び取った者に、
創造主は「ホピ---平和---」と名づけたのだ。その意味を自分の人生の中で私
なりに考え続けた。ただ単に、戦争がなければ平和なのか。ホピの人々の忍耐や、
親切、そして謙虚さや、感情や情動、欲望に自分が支配され、自分ばかりか他人
をも傷つける ことがないように、それらを自ら戒める精神を養った彼らを思う時、
私の中に眠っていた様々なものが目覚め、気づきを与えられてきた。人生の中で
日々の営み、幾多と訪れる試練、悲しみ、怒り、そして喜び、あるいはめぐり合う生
と死・・・・それらを排除せず、また挑まず、自分自身や他者と対立せず、あるがまま
を受け入れる。そして、すべてがバランスの内に歩むようにと、調和を祈る・・・・
それがホピ----平和----としての生き方なのかもしれない。
(本書 内なるホピ それぞれが一粒の種として 辰巳玲子 より抜粋引用)
はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集
エーリッヒ・ショイルマン 編 岡崎照男訳 立風書房
本書はアメリカ・インディアンに関する本ではないが、ツイアビの叡智あふれ
る言葉はアメリカ・インディアンの魂そのものであるが故に、ここに紹介するこ
とにする。世界各地にはエスキモー、アイヌなどの優れた精神文化の花を咲か
せた民族が存在し、その視点は不思議にも共鳴しあっている。本書のツイアビ
は、西サモアのウボル島の首長であり、彼が西洋文明を見聞したことを自分の
島の人々に演説するという形を取っており、ツイアビの鋭い、冷静な、そして
先入観によって判断・観察しない視線がこのような素晴らしい芳香をともなった
言葉として結実した。本書は第一次世界大戦終結の二年後の1920年に発行さ
れ、世界各国語に翻訳された名著である。
追記・・・この文献が真実の 体験から出たものではなく、完全な創作だという
記事もあることをご承知置きくださればと思います。
雑記帳「魅せられたもの」1997.3/16「パパラギ」を参照されたし
時間というのは、ぬれた手の中の蛇のようなものだと思う。しっかりつかもうと
すればするほど、すべり出てしまう。自分で、かえって遠ざけてしまう。パパラギ
はいつも、伸ばした手で時間のあとを追っかけて行き、時間に日なたぼっこの
ひまさえ与えない。時間はいつでも、パパラギにくっついていなければならない。
何か歌ったりしゃべったりしなければならない。だが、時間は静かで平和を好み、
安息を愛し、むしろの上にのびのびと横になるのが好きだ。パパラギは時間が
どういうものかを知らず、理解もしていない。それゆえ彼らの野蛮な風習によって、
時間を虐待している。
(本書より引用)
ある老インディアンとの心の旅
ケント・ナーバーン著 児玉敦子訳 講談社
この本に目新しい叡智の言葉が全く見られないと感じる人もいるかもしれ
ない。しかし、本書に貫かれている怒り、悲しみ、そして許しの言葉が深く私
の心に突き刺さる。そこに映し出された素顔に、喜んだり悲しんだり怒ったり
する老人の表情のひとつひとつの中に、白人との余りにも長き戦いの歴史と
いう記憶が刻みこまれている。1890年12月29日、保留地内のウンデッド・
ニーの丘に銃声が響き渡り、この虐殺をもって白人とインディアンとの戦いは
終結することになる。この丘に集まった人々の3分の2が女性や子供たちで
あった。白人と戦う意志のないことを表明し た300人のラコタ族がこの丘で
虐殺され、1000万人とも推定されていたインディアンもこの年には25万人
になっていった。実にドイツのユダヤ人迫害の犠牲者600万人をも上回る
虐殺が自由の国アメリカで繰り広げられたのである。しかし白人による徹底
した同化政策はその後も容赦なくインディアンに襲いかかり、多くの子供たち
は親元から強制的に離され「インディアン学校」に隔離されてゆく。白人の
言葉、習慣、宗教を押し付けられた子供たちに待っていたのは精神的基盤
の喪失とアルコール中毒の蔓延であった。このような状況の中においても
太古からの教えを守り続けている真のインディアンの悲痛な叫びが、そして
祈りがこの本の中から生きた息吹となって私の心に刻まれた。
わたしはこう思う。もう戦っている場合ではない。わしらは怒りを忘れなけ
ればならならない。わしが自分の怒りを葬り去ることができなければ、子供
たちがその仕事を引き受ける。それでもだめなら、そのまた子供たち、その
また子供たちが引き継ぐ。わしらは心の囚人じゃ。わしらを開放してくれるの
は時だけなんじゃ。あんたたちは傲慢な態度を改めなければならない。この
地球上にいるのは、白人だけではないし、白人のやり方が唯一でもない。世
界のあらゆる場所で、人々はそれぞれのやり方で創造主をあがめ、家族を
愛してきた。あんたたちもそのことを尊重するべきなんじゃ。物質的な力 が
あるのは、あんたたちの強みじゃ。ほかの民には与えられなかった強みを
持っているということじゃ。それをほかと分かち合うか、それともさらに力を
手に入れるためだけに使うか?自分たちの力を分かち合う・・・・・・・それが
あんたたちに課せられた課題じゃ。その力は強いが同時に危険なものでも
あるんだからな。
(本書より引用)
デヴィッド・マードック著 スタンリー・A・フリード監修
日本語監修・富田虎男 翻訳・吉枝彰久 同朋出版
「写真でみるアメリカ・インディアンの世界」
(「知」のビジュアル百科)
デヴィッド・マードック著 スタンリー・A・フリード監修
日本語監修・富田虎男 翻訳・吉枝彰久 あすなろ書房
表題は違いますが、内容は同じものです。
魅力にあふれる北米先住民の諸文明を再発見するための楽しい入門
書です。目をみはるような頭飾りや美しいビーズの刺繍を施したモカシン靴、
洗練された銀細工、見事な陶器など、豊かな文化を多くのカラー写真で
紹介します。
南西部のプエブロに住む部族から北極圏の狩猟民イヌイットまで、北米
先住民の豊かな文化を豊富なカラー写真で紹介している。これら掲載され
た資料は、恐らくアメリカの博物館に所蔵されているものと思われるが、
その多くが白人によって強制的に取り上げたものであることは歴史の語る
ところである。「聖なるパイプ」に代表されるように代々部族の中で受け継が
れていくべきものの多くを、つまり精神的支柱とも言うべきものさえも搾取し
たきた歴史を考えると、いつか、これらのものを「在るべき」場所に帰してい
かねばならないのではないだろうか。考古学的に、人類学的に貴重なもの
であっても、それらを奪われた(すでに絶滅しているかも知れないが)人々に
返還することにより 、先住民族としての誇りを再び思い起こさせるものとなれ
ばと思っている。それ程、昔からの伝統的な生き方を頑なに守っているイン
ディアンは数少なく、アメリカ政府の同化政策はキリスト教も手伝って徹底的
に行われたのである。この本の豊富な資料に驚くとともに、そこに流された血
と涙を思わずにはいられない。このリペイトリエイション(帰還)については
「森と氷河と鯨」の項目を参照されたし。
モノ・マガジン大特集合併号 No.391
ワールドフォトプレス
インディアンの世界観や芸術に宿る美しい視点と想いを紹介している雑誌
です。
「今日は死ぬのにいい日だ」ナンシー・ウッドの詩と言葉、インタビュー
ゴーストダンスから真の描くべき対象を見つけたJD チャレンジャーの
代表的な作品
タオス・プレブロの村の写真と、そこに生きる人々
加藤諦三によるアメリカ・インディアンから学ぶ六つの生き方
インディアンダンスのカラー写真
北米インディアンの世界観とエコロジー 横須賀孝弘
魂の叫び 1997年に亡くなったフランク・ハウェルの絵画
日本のレザークラフトの草分け的な存在である高橋吾郎の� ��葉と作品
インディアン芸術が集まるサンタフェ・タオスの紹介
大平原を去った勇者たち 各部族の勇者の物語
インディアンの肖像 著名なエドワード・S・カーティスによる写真
アメリカ・インディアンの本の宇宙 34冊の文献の紹介
インディアンアートに込められた祈り
北山耕平 編著
日本にインディアンの文化や、その視点を紹介し続けている北山耕平さん
によるインディアンの紹介本です。「レイム・ディア」のヴィジョン・クエスト、
「インディアンに残された予言の解説」など興味ある記事が掲載されておりま
す。また初めてインディアンの文化に触れる方のために豊富に画像を取り入
れ読みやすい工夫がされており、インディアンの言葉や文献、映画なども紹介
されています。この出版社であるワールド・フォトプレスはこれまでにもインディ
アン特集の本を出しており、以下の質の高いものを出版されています。
「インディアンの生き方」、
「インディアンの声を聞け」
「インディアンの生き方を学ぶ」
「インディアンの魂とアートにふれる旅」
「� ��ンディアン・ジュエリー」
「ドリーム・キャッチャー」
「インディアン・クラフト・ブック」
ほんとうに大事なことをネイティブの人たちから学ぶとはどういうことか、
その一端を、この特集からぜひみなさんのこころで感じていただければと
思う。この特集は、わたしがこれまで4年間に自分のブログ「Native Heart」
で公開してきたもののなかから日本列島に暮らすより多くの人たちにとって
重要だと思えるものを厳選した記事から構成し、文章を読みやすくするなど
の手をさらに加えてある。また過去に自分が翻訳して本にしたものの一部を
再構成する形で収録したものもある。わたしたちのすることはなんであれ
宇宙のすべてに影響を与えているというネイティブの人たちの宇宙観をすこ
しでも共有することができれば幸いである。
(本書より引用)
mono特別編集 ワールド・ムック244
ワールドフォトプレス
インディアンの世界観や芸術に宿る美しい視点と想いを紹介している濃密な
素晴らしい雑誌です。
歌詞はなぜ私の心は私がいることを教えていない
大地の守護者たち インディアンの言葉
タオスの草原に響くドラム ドラムを創るプエブロの民フィリップ・マルティネス
の言葉
乾いた大地の宝石 ブルーコーン
ネイティブの心を世界に示す彫刻界の巨人親子 アラン・ハウザー&
フィリップ・ハウザー
ナバホの心を織る ナバホ・インディアン織り物作家パール・サンライズの
言葉
空中都市 アコマスカイシティ
神聖な土地 ホピの集落
ズィア・プエブロ 「いくつもの月の昔」を生きる人びと
オルノスにはぜる炎の子守唄 傍らで犬も待つインディアン・ベーカリー
ネイティブ・アメリカン物語 平原インディアンと馬
ネイティブ・アメリ� �ン物語 ジェロニモという男 愛と血と絆
ネイティブ・アメリカン物語 私の進むべきよき赤い道
ネイティブ・アメリカン物語 サカジャウィア
インディアン最後の闘い 大平原を去った勇者たち
ネイティブ・アメリカンの文化を訪ねて ニューメキシコ 19プエブロ族ガイド
最高級のインディアン・グッズを買う モーニングスターギャラリー
タオス・プエブロ1999 タオスの写真
先住民アナサジ族の高度な文化 チャコ文化国立歴史公園
年に一度のインディアン・マーケット サンタフェ
インディアンの壁画 謎に満ちたシンボル
戦うための強く生きるためのフェイスペイント
異端の画家が示す人間と神々の間 トニー・アベイタ(ナバホ)
ネイティブ・ウーマンが守った伝統の壷づ くり キャシー、キャロル、
ローズ(サンタクララ・プエブロ)
フェザーの神秘に魅せられて マイケル・カーク(イスレタ・プエブロ)
ネイティブ・ペイントに新しい風を吹きこんだ男 スタン・ナッチェス
(ショショーニ・パイユート)
ネイティブ・アメリカン・ファッションというスピリット パトリシア・マイケルズ
(タオス・プエブロ)
ナバホでもない、ヨーロピアンでもない、ホピのブランケット
ロマナ・サキステワ(ホピ)
キャンバスに迸る線と面のエネルギー ポティート・ビクトリー
(チョクトー・チェロキー)
プエブロの家族に想いをよせる画風 ジュラルディン・グティエレス
(サンタクララ・プエブロ)
生と死 インディアンの生き方死に方 ナンシー・ウッド� �丸元淑生の対談
ネイティブ・アメリカン物語 メディスンマン 時に凶暴になる大自然
頼れる癒し手とは
ネイティブ・アメリカン物語 トレーディンググッズ トレードにより躍進した
物質文化とアート
ネイティブ・アメリカン物語 インディアン・ジュエリー サンタフェ・スタイル
に結実させた技の力
ネイティブ・アメリカン物語 ティピー インディアンの知恵の宝庫
移動式住居 ティピー
ネイティブ・アメリカン物語 モカシン 足元を飾るネイティブ・アメリカン魂
北山耕平著 地湧社
日本人の手によって書かれた好著。メディスンマンであるローリング・サンダー
との出会いからインディアンに深くひきつけられた著者が、彼らの生き方を再び
この地球に甦らせるための方法を探る。特に大人になるための儀式「ヴィジョン・
クエスト」と呼ばれるものを詳しく紹介し、その実践方法を説く。著者はインディ
アンにに関する文献を多数翻訳し日本に紹介しているが、代表的なものに「ロー
リング・サンダー」、「レイム・ディア(インディアン魂)」、「シャイアン・インディアン
祈り」、「虹の戦士」がある。本書は私たち日本人にとって、これらのインディ
アンの精神文化を理解する上で欠かせない文献のひとつに数えられるに違い
ない。
私はその力に導かれて日本の中を旅してきた。それは自分の内側への旅
だったといっていい。血と霊の流れのなかにかろうじて残されていた古い祖先
の歩いた道を探して、私はこれまで旅をしてきた。・・・偉大なる曾祖父よ!
まったく新しい世界の見方で自分の生れた国を見ることは、なんと信じられな
い発見の連続だったでしょう。いかなる歴史を経て私たちのこの島々でモンゴ
ロイドとしての生き方が、海を越えてきた開拓者たち(日本建国の父たち)に
よって歪められ、時間をかけて根こそぎ変質させられていったかを。なぜ私た
ちが生れた時から自由であることを半ば諦めたような、まるで「奴隷」のような
生き方� ��よしとするに至ったのかを。世界に類を見ない複雑で強固な差別の
構造と、裏と表の二つでひとつの多重な世界観を持たざるをえなかったわけを。
ありとあらゆる「聖なるもの」が開拓者と共に海を越えてきた「宗教」によってこ
とさらにおとしめられていくプロセスを、今では私はありありと想い描くことがで
きる。そして今自分のなかを流れる血が、そしてそこを吹き渡る風が、太古より、
つまりこの列島が日本と呼ばれ、そこに住む人たちがひとからげにされて日本
人と呼ばれるようになる以前から、脈々と伝えられてきたものであるとの確信に
私は至っている。
(本書より引用)
プエブロ・インディアンの大地から
徳井いつこ著 地湧社
プエブロ・インディアンと呼ばれる人たちが作る土器を通して語られるインディ
アンの精神世界と大地の美しい歌声。多くの陶芸作家の声の中には大地への
祈りと感謝が満ち満ちている。「私は、祈りの力信じています。ええ、本当に信じ
ていますよ、単純に。朝であれ、夜であれ、それがいちばん主要なことです。
野焼きのときは火に祈り、採土のときは土に祈る・・・。祈ることは、それを感じ
ることです。火を感じ、土を感じ・・・地球のあらゆるものを感じることです」。本書
は、土器を通してインディアンの深い精神世界を垣間見させてくれる好著であり、
大地の豊かな恵みを肌で感じることが� �来なくなっている私たち文明人への
感銘深い警鐘の書でもある。
同じ著者による「インディアンの夢のあと」を参照されたし
「母なる大地の声 アメリカ・サウスウェスト プエブロ・インディアンの美術」
名古屋ボストン美術館 を参照されたし
アメリカの宇宙飛行士エド・ミッチェルは、月探検から帰還する途中、宇宙船
の窓から小さく輝く地球の姿を眺めたとき、世界のすべてが精神的に一体で
あること(スピリチュアル・ワンネス)を感じたという。その瞬間について、彼は
「神の顔にこの手でふれた」と表現した。立花隆の著書「宇宙からの帰還」の
なかで、ミッチェルは次のように語っている。「古代インドのウパニシャドに、
"神は鉱物の中では眠り、植物の中では目ざめ、動物の中では歩き、人間の
中では思惟する"とある。万物の中に神がいる。だから万物はスピリチュアル
には一体なのだ。しかし、神の覚醒度は万物において異なる。(中略)眠れる
神をも見ることができるだけスピリチュアルになることができた人間にしてはじ
めて、この一体性を把握できる」。プエブロの土器をつくる女たちは、あるいは、
この"眠れる神"を見ていたのかもしれない。土という、最も寡黙な存在の、音
なき声を聴く。それは世界の鼓動に耳を澄ませ、そのリズムのなかに溶解して
いくことである。私の頭のなかに、いつのころからか棲みつくようになった、ひと
つの映像がある。大地の上に一個の巨大な土器が立っている。壷のかたちを
しているが、その全体は背伸びをしても見届けられないほど大きい。奇妙なこと
に、壷と地面はつながっている。まるで一本の樹の� ��うに、壷は地面から生えて
いるのだ。この"樹のような土器"の姿は、時とともに色褪せるどころか、ますま
す確固とした現実感をともなって根を降ろし始めた。
(本書より引用)
大地に生きる女たち
ダイアナ・スティア著 鈴木清史・渋谷瑞恵訳 明石書店
本書にちりばめられた先住民女性への賛歌の美しさは勿論のこと、古き
時代のインディアンの姿を記録したカーティスの写真などを通して、先住民
女性の美しさや逞しさが強く心に伝わってくる文献である。また西洋的父系
社会との対比をすることにより、彼ら先住民族の豊穣な精神世界が何故生
まれたかをも考察し、私たちの未来へと向かうあるべき道を示している。
執筆を進めながら、わたしは先住民女性についての情報を集め、さらに
おおくの質問を先住民の友人に投げかけました。かれらは協力を惜しみま
せんでした。その作業のなかでわたしがいたく驚いたのは、西洋的な父系
社会と、アメリカ大陸で長年存在してきた母系社会との大きな違いでした。
先住民の人びとはお互いを、そして大地やすべての生き物を愛し慈しみま
す。それは、かれらを征服したヨーロッパ的な大量消費社会の価値観とは
対局にあるものでした。先住民社会のあいだで、「首長」は金持ちとはかぎ
らず、むしろ部族の人びとに尽くし責任を持つ人なのです。もしかすると、長
い歴史と高度に洗練された文化を� ��つ日本に住む読者の皆さんは、調和の
とれた関係を至上とするアメリカ先住民の人びとに何らかの類似性をみい
だすことになるかもしれません。アメリカで本書が出版されてから2年が経ち
ました。おおくの読者から、女性が中心的な役割を果たし、自然と共生して
きた先住民文化に感銘したという声が届いています。危険に満ち、人間の
制御が及ばないように思われる現代のアメリカ社会に暮らしているせいか、
相互に慈しみ、自分が誰かのために存在し社会に貢献でき、子どもたちが
愛される、そして何ごとも理由なく破壊されることのない社会について知りた
がっている人びとがおおくいたのかもしれません。
(本書より引用 )
写されたインディアン居留地の暮らし
ダン・アードランド著 横須賀孝弘訳 社会評論社
1890年のウンデッド・ニーの虐殺により、白人によるインディアン戦争
は終結した。この時代のインディアンの誇り高い精神性を表現し垣間見る
ことができるものとして、エドワード・カーティスの写真が有名であるが、
この文献に紹介された多くの写真もまた同じく貴重なものになるだろう。
インディアン学校の教師の妻として居留地に赴き、彼らインディアンと親密
な交流を築き上げ、彼らの日常の生活にまでカメラを持ち込むことが出来
たジュリア。その被写体はスー族やシャイアン族のものが多いが、これら
の人々は白人の同化政策により、その精神文化を急速に失いつつあった
時代に生きた人々であった。この貴重な写真を著者の言葉で語るなら、
「ジュリア・トゥエルと彼女のカ メラは、まさに最後のチャンスに居合わせて、
滔々たる小川に漂うかのごとく目の前を足早に過ぎ去り、ほどなく永遠に
失われようとしていたものを、かろうじて捕らえたものだった」。しかし、
インディアンの聖なる輪は現代においても絶たれていない。スー族の聖者
ブラック・エルクは未来への希望をこめて次のように祈った。「いま一度、
そして、おそらくこの世では最後に、私はあなたが授けた偉大なビジョンを
思いおこしている。あるいは聖なる木のどれか小さな根がまだ生きている
かもしれない。もしそうならば、それが葉を出し花を咲かせ、さえずる鳥で
満ちあふれるようになるようにその根を養いたまえ。私のためではなく、
私の民のために聞きたまえ。私は年老いている。聞きたまえ、� ��らがまた
聖なる輪に立ち帰り、善なる赤い道と、盾となる木を見つけることができる
ように!」。私はこの文献の写真を見ながら、この聖者の祈りの声を聞い
たような気がしてならなかった。
素人としての感想を言えば、私には、マソームの儀式とは、まるで五幕物
の演劇や数楽章からなる交響曲のように、次から次へと新たな局面が展開
していくもののように思われる。儀式全体について感じられるのは、新たな
蘇りの気分だ。ものごとが本来あるべき状態を回復し、まさに「神は天にあり
て、世界は万事申し分なし」といった状態に再び戻った、という感覚である。
天界の諸神、地上界の森羅万象が、互いに調和しあい、人は動物の一員と
して確固たる位置を占めると同時に、動物界の仲間たちを尊重する。平原
インディアンが理想としたのは、つまり、このような調和のとれた状態だった
のである。だが、彼らが強力な文� �の力に圧倒されたとき、その調和は粉々
に砕け散った。インディアンは、女も戦士も、各々がこのような精神世界、こ
のような霊的世界に住んでいたのであり、彼らをとりまく万物は、どれもが、
それぞれに霊的な存在だったのだ。本書でたびたび指摘してきたことだが、
ジュリア・トゥエルと彼女のカメラは、まさに最後のチャンスに居合わせて、
滔々たる小川に漂うかのごとく目の前を足早に過ぎ去り、ほどなく永遠に失
われようとしていたものを、かろうじて捕らえたのだった。今世紀初めにレーム
ディアで執り行われた非常に込み入った宗教儀礼の現場に彼女が居たことも、
そのような幸運の一つだと言えよう。それにつけても思い� ��こされるのは、
人類の霊的な側面は、幾多の激動をも切り抜けて生きつつけるということだ。
サン・ダンスも再び執り行われるようになった。平原インディアンの生活は、
その精神世界において、今もなお現実のものなのだ。
(本書より引用)
ジェーン・キャッツ編
舟木アデルみさ+舟木卓也訳 築地書館
インディアンの聖なる輪が物質文明に流されることなく、現在においても
大地に息づいていることを改めて痛感させてくれる本である。一人一人の
生活の匂いが漂う中にほとばしる言葉の強じんさと慈愛。このような女性
たちがいる限り、インディアンの魂はどのような抑圧にあっても生き抜くだ
ろう。本書は舟木夫妻が訳した好著「ネイティブ・アメリカン=叡智の守りびと」
の女性版とも言えるもので、我々と同じ時代を生きている彼女たちの希望は
未来と次の世代の子どもたちへの力強いメッセージとして永遠に受け継がれ
ていくだろう。
「アメリカ・インディアン女性への賛歌」を参照されたし
白人は、人間は死ねば天国に行けるから地球のことなどどうでもいいと
考えているようです。だからヨーロッパ大陸の環境を破壊した後アメリカ大陸
に渡り、ここでまた破壊活動を繰り返しても何の罪も感じないのです。しかし
インディアンはこの世が楽園であることを知っています。霊の世界はこの世に
あるのです。まだ生まれぬ者、すでに死んだ者、みんな私たちと日々共に
存在しています。彼らは私たちにいろいろなことを教えてくれます。私たちは
次の世代のためにこの世界を残してやらねばならないのです。私はいつも
幼い息子ラハバテスートのことを思います。あると き、ラハバテスートを車に
乗せて港への近道を走っていると、彼は突然泣き出してしまいました。たった
五歳の子どもが「ぼくは杉の木を見たこともなければ鹿を見たこともないよ」と
言って泣いているのです。インディアンには不思議な力が備わっていて、教え
られなくともこのようなことを本能的に知っているようです。彼は小さな胸の中
に、自分が何かを失ってしまったこと、自分の世代から豊かな環境を奪われた
ことを悟っていたのです。
(本書より引用)
次代へ贈るメッセージ コエン・エルカ著
サンマーク出版
数多くのインディアンの文献の中で、心に最も響いた本の中の一冊
「鷲の羽衣の女」を書いた方がコエン・エルカさんです。その彼女が次
の世代を担う子どもたちへ伝えたいメッセージを書いた本がこの「生き
物として、忘れてはいけないこと」です。子どもたちが感じる素朴な疑問
に対して強く揺るぎない視点で、そして何より実直な飾らない言葉は胸
を打ちます。彼女はアメリカ在住のころ、狼に誘われ彼ら狼と話をし、
破ってはいけない約束を交わしました。その約束をコエン・エルカさんは
この日本の地でも忘れず動物保護などの運動をされているのです。
「野楽生れば山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと
自然の掟にそった生き方を目指し、必要なものは出来るだけ自分で得る
(恵みを頂く)山の生活を実践しておられる陶芸家の方のブログです。尚、
メルボルン国際芸術賞受賞などを受賞した作品などは「空土窯」にてご
覧になることができます。このブログの中でコエン・エルカさんの言葉
「解っているのは、そのくらいだけ」も紹介されています。
翼あるものたちが故郷へ、北へ、飛び立つころ、あなたたちも飛び
立つ。あなたたちも、翼あるものたちと同じ強い志と元気な翼をもつ
ように祈っています。みんなお互いに、長い、むずかしい旅をつづける
ことになるから。その翼あるものたちや、ほかのすべての生き物たち
が精一杯、一生懸命生きているように、あなたたちも生きてほしい。
ときには、あなたたちの一人ひとりが孤独を知る。いつも群れといっしょ
にはいられない。そのときこそ、自分で自分にある生まれつきの美しさ
と強さを感じてほしい。自分の心といっしょに生きなければならないから。
ほかのものではなく、自分が正しいと思うことを貫いてほしい。自分が
たった今いるところをよく見て、よく聞いて行動すること。 その行動に対
して責任をもつこと。その生き方のなかで自分と合っている仲間を見つ
けられれば、とてもうれしいこと。けれど、それもあくまで自分が自分に
忠実であってのことです。一人になるとき、自分の心が静かであるため
です。
(本書より引用)
「鷲の羽衣の女」エレーヌ・アイアン クラウド 語り手
菊地敬一 書き手 徳間書店
モンゴルの王族の血をひいたエレーヌは生まれて間もなく父母のもと
から離され、シャイアン族の居留地で働く祖父に厳しく育てられる。これ
は彼女がモンゴルの祖先蒼き狼の目をしており、モンゴルの民の光り
になること、モンゴルやシャイアンの心と生き方をエレーヌに伝えること
に祖父が賭けたことによる。幼い頃から毎日馬と共に生き、ヴィジョン・
クエストやサン・ダンスの儀式を通してたくましく育っていくエレーヌ。しか
し彼女が10歳の時に祖父が亡くなり、数年間をシャイアン族の助けを
借りながらたった一人で生きていくことになる。インディアン学校や恋人
の死を乗り越えて、メキシコオリンピックで100m競泳で金メダルを取る
が、電光掲示板に出たのは自分の名前で はなく白人コーチの名前だった。
彼女は金メダル2個をメキシコのテオオワンカンの湖に沈めてしまう。
「メキシコのインディオの部族たちは、金は太陽の汗、銀は月の涙というよ。
純金のメダルは名誉のシンボルではなく、太陽の汗。だから、大地にかえ
すべきだ。私、その方が正しいと思ったから」。そしてインディアン権利
獲得運動にも参加していくことになる彼女は、その後日本に来て日本国
籍を取る。祖父やシャイアン族との想い出や生活を交えながら波乱万丈
に生きた一人の女性の物語が語られるこの文献は、残念なことに絶版
になっていますが、復刻されることを強く願っています。(エレーヌさんに
よればオリンピックでの金メダルの話は書き手の菊池氏による創作であ
るとおっしゃ� �ています)
「天空の果実」の「メディシン・ウィール」をも参照してください。
"私はあなたに、愛が真であることを私を見ると信じさせる"
自然と生きるアメリカ先住民の「聖なる言葉」
阿部珠理著 小学館新書
アメリカ・インディアンの研究の第一人者として活躍する立教大学教授の
阿部珠理さんによる好著。この本の紹介には「現地で出会った聖なる言葉
の数々を紹介します」と書かれているが、実際は良くも悪くも等身大のイン
ディアンとの20年の交流の中で著者が出会った様々な出来事と、その中に
あるインディアンの生き方、その根源的なものを書いたものである。私の
サイトではインディアンを神格化しすぎている誤りを犯しているが、阿部さん
は、本書「縁を紡ぐ」の中で、「私はインディアン社会のさまざまな人たちと
の縁を紡いできた。その過程で、美が醜にに変わるとき、醜が美に変わ� �
ときを見た。美と醜、叡智と暗愚、勤勉と怠情、愛と憎しみ、敬意と嫉妬、
豊かさと貧しさを経験した」と書いているように、今まで出会った等身大の
インディアンを描きつつも、それでも何故インディアンなのかを一気に引き
込む軽快な語り口で読者に問いかけている。私自身特に印象に残るもの
としては、著名なメディスンマンであるクロードッグの実像と偉大な指導者
レッド・クラウドの部屋の壁に大事に飾られていた日本刀から明治99年
(1876年)、レッド・クラウドと典型的な明治の軍人エリートであった野津道貫
の出会いを探る話が興味深かった。特にレッド・クラウドと野津道貫、明治
時代とはいえ日本刀が武士(軍人)にとって魂や命であった時に、何故大切
にしていた日本刀をレッド� ��クラウドに捧げたのか、またレッド・クラウドも何故
ずっとその日本刀を大事に家に飾っていたのか。フィラデルフィアでインディ
アン戦争を聞いた野津はララミー砦から、族長レッド・クラウドが率いるラコタ
族の居留地に行き、そこで5日間滞在しアメリカ政府の役人がレッド・クラウド
との交渉をするその席に野津も立ち会うのである。阿部さんが「厳しい使命
を負った54歳の族長に、35歳の美しい日本人士官は何を見たのだろうか。
会話を交わしたとしたら、いったいどんな話だったのだろう。野津ほどの人物
なら、族長の深い苦悩を読み取ったかもしれない。私の好奇心は熱気球の
ように膨らんだ」と書いておられるが、私も同じ気持ちだった。本書で紹介さ
れる等身大のインディアン、私はその 実像と虚像を知っても阿部さんが言う
ように「もう二度と来るものかという体験をしても、やはり来てしまう。私を呼び
戻す磁場がそこにある。」と感じているのかも知れない。
阿部珠理さんの著作
「アメリカ先住民・民族再生にむけて」
「アメリカ先住民の精神世界」
「大地の声 アメリカ先住民の知恵のことば」
「ともいきの思想 自然と生きるアメリカ先住民の聖なる言葉」
「セブン・アローズ」
「ブラック・エルクは語る」
「今日は死ぬのにいい日だ」 日本でも有名なインディアンの言葉である。
狩猟民族のラコタ族が、戦闘に行くときにあげる雄叫びだ。勇敢な男たち
は、死んでもかまわないという決意で三つ編みに編んだ長い髪をほどき風
になびかせる。そして馬上で叫ぶ。「今日は死ぬのにいい日だ」 インディ
アンには長い歴史に培われた「武士(もののふ)」の伝統があり、死ぬこと
を恐れないだけでなく、「潔く死ぬためには、潔く生きなければならない」と
いう心情がある。死に方の潔さは、生き方の問題だという思想が脈々と受
け継がれているのだ。インディアンはその歴史を文字で残してきた民族で
はないが、その価値観や思想� ��生き方そのものの中に伝わっている。この
死生観は、日本の「葉隠れ」の精神に通じる。そこにあるのは「死に様」の
美しさであり、それを重要だと考えていた日本人の思想である。死に様の
美しさを求める気持ちは、突き詰めればどれだけ充実した生き方をしてき
たかを表している。この人生の密度が死に方の潔さを決めるという意識が、
日本人とインディアンに共通する。住んでいる場所も文化の成り立ちもまっ
たく異なるアメリカインディアンと日本人は、究極的な価値観において通じ
合うところがある。 (中略)私は不思議な縁からインディアンの世界に入り、
毎年彼らのコミュニティを訪れる生活を続けてい� ��。彼らの現実生活は厳し
く、決して褒められることばかりではない。だが、もう二度と来るものかとい
う体験をしても、やはり来てしまう。私を呼び戻す磁場がそこにある。インデ
ィアンとの出会いから20年がたつ。ここにあるのは彼らが守ってきた万古
の智慧とそこから発せられる何気ない一言、その言葉が私にもたらした気
づきの数々である。決して特別なことが起きたわけではない。だが、ありき
たりの日常の中に珠玉のような普遍の価値があることを、インディアンほど
私に教えてくれた人びとはいない。
(本書より引用)
阿部珠理著 NHKブックス
ラコタ族の人々と共に生活した著者が、その社会に宿る豊かな精神性を、
愛情を持った視点で描いている。また現在のアメリカ先住民の置かれてい
る危機的な状況も記している。本書では、彼らの七つの聖なる儀式を紹介
しているが、特にサンダンスに関する記述は貴重なものであり、ギヴ・アウェイ
「与え尽くし」に貫かれる彼らの精神世界の豊穣さには考えさせられてしまう。
私はこの書で、アメリカ先住民の精神的伝統を維持しているという意味で
代表的な、ラコタの人びとの生活と信条を、出来るだけ忠実に描き出したい。
彼らの生活の中心には、彼らの創造の主であり、大いなる霊(スピリット)で
あるワカンタンカへの信仰がある。彼らの信仰に、仏教やキリスト教といった
名称はない。信仰とは、彼らにとって、ワカンタンカの意志にそった生き方を
することに他にならないのだ。あえて名づけるなら、「ラコタの道」と言うしか
ないものだろう。我われを含むいわゆる「文明人」の目には、彼らの信仰は
原始的な自然崇拝と映りかねない。事実、西欧文明は近代まで、宗教進化論
にそって、� ��字によって体系化された一神教こそ高等な宗教であり、多神教や
書かれた教義を持たない自然・精霊崇拝を低位のものと位置づけてきた。
西欧的物質文明の行き詰まりが語られて久しいが、それこそこのようなヒエラ
ルキー的発想なども、よりよく生きようとする人間と自然の幸福な調和に、亀裂
を生じさせた一つであったかもしれない。信仰は書かれるものでなく、生きられ
てこそ初めて信仰となる。先住民のあるチーフがいみじくも言う。「あなた方の
信仰(キリスト教)は、神の鉄の指で石版に刻まれるがゆえに忘れられることは
ないが、我われの信仰は、先祖たちの歩いた道であり、それは心に刻まれる
がゆえに忘れられることはな い」。ラコタの道は、人が、自然とそして、あまね
く自然に宿るスピリットと共に生きる道である。また、心と体と自然が繋がった
調和の世界である。ラコタの道には、聖堂も聖人も必要ではない。しかし、ワ
カンタンカとスピリットの仲立ちをして、人を調和の世界に導く役割を持つ人は
いる。それがメディスン・マンである。本書でメディスン・マンとラコタの伝統的
儀式であるサンダンスに章をさいているのは、それが心と体と自然を繋ぐ人
であり、儀式であり、またもっともラコタの精神を体現するものだと思われた
からだ。しかしそうしたラコタの信仰や精神を、言葉に写すのは難しい。また、
そういう努力が有効なもの� ��どうかも覚束ない。だが敢えて私にそれをさせ
たのは、ラコタの人びとの生き方が、「豊かさとは何か」「人間とは何か」とい
う古くてまた常に新しい問いを、繰り返し私たちに投げかけるからだ。
(本書より引用)
インディアン宗教の深層世界
A・C・ロス著 スーザン・小山訳 三一書房
アメリカ・フランス・ドイツなどでベストセラーとなった本である。またロス
博士は1997年11月、関西市民大学で講演会を開いた。
「自らのルーツを求めてダコタ宗教儀式に参加した著者が、のちにユング
心理学とダコタの宗教儀式の共通性、人間深層心理を儀式化している
インディアン思考の原理と方法を分析する。インディアンの哲学の中枢とは、
「赤い道」の達成であることをロス博士は発見する。「赤い道」とは、左右に
偏重しない総合的な脳の状態、すなわち脳の全体的機能の達成であった。
ユング説とロジャー・スペリー(ノーベル医学賞受賞者)の頭脳半球説を使い
ながら、インディアンの思考と哲学を探求。宇宙と自然の法則のなかに生き
なければならない人間の存在を問う。」同著・帯文より引用
さらにダ/ラコタの伝統の考えでは、霊魂は誕生したその瞬間にその体に
入る。そこで良い霊魂が体� �入ってくれるよう偉大なる神秘に、儀式を催し
て祈るのである。ひとが死ぬとその霊魂は銀河に行って、それを南に向か
う。その南の終りに年老いた女性が座っていて、あなたの地上の生活を
審判する。あなたが赤い道を歩き、またひとびとに寛大で、他を助け、すべ
てのものと調和のなかに生きたのであったならば、その老いた女性はあなた
に、長い方の道、つまり宇宙の中央にいたる左の道を取ることを許す。もし
あなたが黒い道を歩み、どん欲で自己中心的であったなら、彼女は右の道
を示し、あなたを突き落とす。そこであなたの霊魂はふたたび地上に落ち、
新しい肉体に宿ってこの世に誕生するのである。それはあなたが ふたたび
すべてのものと調和に生きるため、新しい機会を与えられたということなの
である。もしひとが非常に若いうちに、そのような機会もなく死んだ場合は、
長老が選ばれ、その霊魂を一年間守護する。この間その長老はその若い
魂が銀河の左の道を行き、進化の旅を完成して、宇宙の中心に帰ることが
出来るよう毎日祈るのである。
(本書より引用)
天空の果実・「地球の上空から見た牡牛座とプレアデス」
天空の果実・「インディアンに語り継がれてきたプレアデスの伝説」
ゲーリー・スナイダー著
ナナオ サカキ訳 山口書店
1975年 ピューリッツア賞(詩部門)
「亀の島」とは北米大陸のことであり、多くのインディアン部族はこの大陸を
亀の背に乗っている島だと考えていた。この「亀の島」に関する神話・伝説は
数多く存在しているが、本書のゲーリー・スナイダーはこのインディアン並びに
禅に共通して横たわっている視点を取り戻すことこそ未来を創造できるかどう
かの試金石だと語る。日本で禅の修業をし、環境問題と先住民問題には密接
に関わってきた著者が世に問うた本書には、詩と説話が収められているが、
その中の多くは実に美しい響きを奏でており、インディアンなど先住民に共通
する魂が著者にも宿っていると感じられてならない。1975年のピューリッツア
賞(詩部門)受賞作品。
詩が語るのは"場"であり、生命をつなぐエネルギーの道筋。それぞれの生命
はこの流れに浮かぶ渦巻き、形なす乱流、一つの歌。この詩集の作品は、ヨー
ロッパ、アフリカ、ラテンアメリカ、アジアなどから来たアメリカ人の"亀の島"の
未来の可能性に捧げられている。彼らがこの"亀の島"の大地を、場を愛し、学
ぶ日がくるように望みながら。たとえ合衆国がその土地をだめにし、古代からの
森を切り倒し、水圏を毒まみれにしたとしても、私たちとその子孫がきたるべき
数千年の未来にわたって、この土地に住み続けたいと望むのは当然のこと。こ
れは日本、東南アジアまたブラジルにも妥当する。私たちは住み続ける。 その私
たちが、なぜ未来をだめにしつつあるのか。その原因の一部は、政治的経済的
絵空事にすぎない短命な国家を、合衆国や日本を永久のものと見なすからだ。
真実の相は、"亀の島"であり"ヤポネシア"。今こそ最も古い伝統に戻るべき時。
アフリカ、アジア、ヨーロッパそれぞれの"根の国"からこの大地と場を敬愛する
よう学ぶ時。そうすれば"亀の島"で、また宝石の島々つながる日本で、この惑星
地球に共に生きることになる。
(本書・日本版"亀の島"への序文 ゲーリー・スナイダーより引用)
星野道夫 写真・文 小学館
星野道夫氏が13年間におよぶアラスカ取材を通して見つめた大自然と、
そこに生きる先住民の方たちの視点。その深い思索の息吹と写真の中の
動物たちの力強く優しい鼓動が見事に調和した傑出した写真文集であり
文字どおりの名著である。多くの方にこの息吹と鼓動を感じていただける
ことを願っている。それは私たち地球に生きるすべてのものへの賛歌であ
り未来という世界へのメッセージでもある。
あらゆる生命は同じ場所にとどまってはいない人も、カリブーも、星さえも、
無窮の彼方へ旅を続けている 星野道夫(本書より)
人は、なぜ自然に目を向けるのだろう。アラスカの原野を歩く一頭のグリ
ズリーから、マイナス50度の寒気の中でさえずる一羽のシジュウカラから、
どうして僕たちは目を離せないのだろうか。それはきっと、そのクマや小鳥
を見つめながら、無意識のうちに、彼らの生命を通して自分の生命を見て
いるからなのかもしれない。自然に対する興味の行きつく果ては、自分自身
の生命、生きていることの不思議さに他ならないからだ。僕たちが生きてゆ
くための環境には、人間をとりまく生物の多様性が大切なのだろう。オオカミ
の徘徊する世界がどこかに存在すると意識できること・・・・・・・。それは想像
力という見えない豊かさをもたらし、僕たちが誰なのか、今どこにいるのか
を教え続けてくれるような気がするのだ。少し寒くなってきた。アカリスの警戒
音はまだ聞こえている。雪を被ったトウヒの木々を見上げても、どこにいるの
かわからない。これから長い冬が始まる。
(本書より引用)
星野道夫著 文春文庫
この深い沈黙から発せられた言葉は何処から来るのだろう。星野氏の
深く研ぎ澄まされた感性にアラスカの大自然に生きる生命の息吹が吹き
込まれた時、その魂は私たちに至福感を呼び覚ます。類希な言葉になら
ない想いを抱かせる星野氏が残した本書は、アラスカ先住民の人々や
白人たち、そして動植物たちがアラスカという過酷な自然環境のもとで
必死に生きてきたその崇高な魂の記録である。
狩猟生活が内包する偶然性が人間に培うある種の精神世界がある。
それは人々の生かされているという想いである。クジラにモリを放つときも、
森の中でムースに出合ったときも、心の奥底でそんなふうに思えるのでは
ないだろうか。私たちが生きてゆくということは、誰を犠牲にして自分自身
が生きのびるのかという、終わりのない日々の選択である。生命体の本質
とは、他者を殺して食べることにあるからだ。近代社会の中では見えにくい
その約束を、最もストレートに受けとめなければならないのが狩猟民である。
約束とは、言いかえれば血の匂いであり、悲しみという言葉に置きかえても
よい。そして、その悲 しみの中から生まれたものが古代からの神話なのだ
ろう。動物たちに対する償いと儀式を通し、その霊をなぐさめ、いつかまた
戻ってきて、ふたたび犠牲になってくれることを祈るのだ。つまり、この世の
掟であるその無言の悲しみに、もし私たちが耳をすますことができなければ、
たとえ一生野山を歩きまわろうとも、机の上で考え続けても、人間と自然と
の関わりを本当に理解することはできないのではないだろうか。人はその
土地に生きる他者の生命を奪い、その血を自分の中にとり入れることで、
より深く大地と連なることができる。そしてその行為をやめたとき、人の心は
その自然から本質的に離れてゆくのかもしれない。
(本 書より引用)
アラスカの原野を旅する
星野道夫著 新潮文庫
アラスカのベーリング海峡やその大自然の前で、そしてそこに生きる多く
の生き物や人間から多くのことを教えられ気づかされていく著者。現代
文明をもってしても、このあまりに厳しい風土の地は人間の行く手を遮る。
カリブーの大移動などアラスカの野生の動物写真を数多く撮影し、そこに
生きる人々との心の交流を通して星野氏は自らの存在の意味を探ろうと
している。前に紹介した「森と氷河と鯨」と重複しているところもあるが、
大自然と人間の関わりを考察した生命の記録である。
「心に響く言葉」1998.10/23を参照されたし
星野道夫著 文藝春秋
本書は星野道夫氏の遺稿集として編集されたものであるが、既発表で
単行本未収録の文章を可能な限り収録したものである。既刊の文献と
重複している文章も幾つか見かけるのだが、遺稿集という意図にそって
76稿を収めた本書は、彼が私たちへ託した最後のメッセージである。
既刊の作品同様にこの文献には、人間と自然にまつわる深く優しいなぐ
さめが息づいている。
星野道夫は広大な氷河の上にひとり立って、宇宙が語りかけてくること
に耳をすました。いまなおカリブーやサケをとって生きるアラスカ先住民と
語り合って、彼らの深い生き方を知った。星野がアラスカの地で過ごした
幸福な時間はみごとなエッセイになって、私たちに限りない慰めを与えて
くれる。1996年事故で急逝した星野が書き残した全文章を集成、真の
遺稿集ともいうべき一冊である。(文藝春秋 新刊案内より)
リチャード・ネルソン著
星川淳訳 星野道夫写真 めるくまーる
1991年 ジョン・バロウズ賞受賞作
「敬愛する友人の作家、リチャード・ネルソン(中略)のもつ自然観に
自分自身の思いと重なるものをずっと感じていた。この作家の著作の
テーマはアラスカ先住民の世界であり、言い換えれば、狩猟民のもつ
自然と人間の関わりである(星野道夫・森と氷河と鯨)。」、そして同じく
ネルソンの友人のゲーリー・スナイダー(ピュリッツァー賞詩人)はアラ
スカの魅力について次のように言う。「アラスカにはほとんど人間の痕跡
が見当たらない地域がある。ところがそこには、一万年以上人びとが
生きてきた。十九世紀の人間なら"なんだこの連中は中身が空っぽじゃ
ないか"というかもしれない。生活の跡さえ残していないのだから。しかし
見方を変えれば、一万年もそこに暮らしてきて、 複雑で豊かな知的・
精神的文化を営みながら、まったく痕跡を残さないというのはあっぱれ
な偉業だ。われわれも未来のために手つかずの自然を残すことを、
この文明の記念碑にしようではないか」。星野道夫、ゲーリ・スナイダー、
そしてこの文献の著者であるリチャード・ネルソンの言葉は先住民族の
視点そのものを雄弁に証している。そしてそれはアマゾン先住民アユト
ン・クレナックが語る世界観、世界各地の先住民族に宿る共通の世界
観なのである。「人間は鳥のように静かに飛び去っていくことができる。
地球を通りすぎるだけなのに、なにか記念碑を残してゆくような人は、
それだけ自分に自信がないのです。なにかを成すために人間は存在
していると西欧の人は考えるが、なにも成さ� �いためにいてもいいじゃ
ないか。人間は宇宙の一部であり、その宇宙そのものが素晴らしい
記念碑であり、創造物なのですから」。この「内なる島」に描かれている
アラスカの大地に生きる多くの命のきらめき、そしてコユーコン族の
長老に導かれながら、これらきらめく命の息吹を自らの魂の深部で抱き
しめている著者の瞳に、私の魂は強く揺さぶられる。上に紹介した多く
の瞳に宿っているもの、そこにはまたあるべき未来への礎の鍵が横た
わっている。
北アメリカ、プエブロ・インディアン居住地域からのイメージ
アビ・ヴァールブルク著
加藤哲弘訳 ありな書房
この文献には特異な面が二つある。一つはインディアンへの偏見が
まだ根強い時代、1923年に行なわれた講演であること。もう一つは
著者自身が精神的に不安定な統合失調症の時期に、彼自身が入院
している療養所で行なわれたことである。インディアンの偏見に満ちて
いた時代、彼の視点は蛇の図像への考察にも見られるように、彼ら
インディアンが持つ世界への接近を西洋のそれと対比させながら展開
させている。しかしそれは彼の内面を考慮に入れなければ正しく読む
ことは出来ないものだろう。尚、蛇へのインディアンと西洋の視点の違
いに関しては、違った角度からの文献「蛇と十字架」東西の風土と宗教
がある。
映画の。wavサタデー·ナイト·フィーバー
ヴァールブルク自らが現地で写真に収めたアメリカ先住民たちの
生活と儀礼、そのなかに息づく蛇のイメージ。旅の記憶は壮大な歴史
的回想へと姿を変えて、古典古代やキリスト教、世界の美術に見られ
る蛇の図像の役割を逆照射する。ジャンルの閾を超えて、文明化に
よる不安克服の両犠牲を自己省察とともに顕在化させる試み。
(本書・帯文より)
アメリカインディアンに学ぶ脱近代
北澤方邦著 農文協
本書は著者の三回目のホピ族との出会いを綴ったものであるが、著者
の幅広い見識と鋭い観察力、ならびに現代文明の限界を見据えた視点で
アメリカ・インディアンの精神世界並びに日本を含む環太平洋文化に迫った
好著である。またホピ族の伝統的な儀式(スネーク・ダンス、バタフライ・
ダンスなど)や他の部族の儀式の様子を克明に記録している数少ない文献
の一つである。著者とその妻、青木やよいは多くのホピ族に関する文献を
出版しており、「ホピの聖地へ」「ホピの国へ」「ホピ・精霊たちの大地」がある。
知られざる「インディアンの国」
北沢方邦 著 東京書籍
二十五年もの間アメリカ・インディアンの文化に引き付けられてきた人類
学者である著者が、合衆国南西部インディアンの各地を訪ねた旅を記した
ものである。インディアンの文化に対して深い造詣を持ち、彼らの宇宙観に
共鳴した著者が豊富なカラーの写真や絵を通して、インディアンの精神文化
に迫るもので、サンタフェ、グランドキャニオン、ナバホ、ホピなどが紹介され
ている。著者は他にも「蛇と太陽とコロンブス」という興味深い文献をも書い
ておられるが、著者の妻である青木やよひ女史も同じくインディアン(特にホピ
族)に関する著作(「ホピの国へ」「ホピ・精霊たちの大地」)を世に出している。
創造主がマサウを通して語った預言と教示をまとめた「テククワ・イカチ」
「生命の始まりから浄化の日まで ホピ物語」を参照されたし
ドキュメンタリー映画「ホピの予言・人類滅亡・核時代の最終予言」
預言された「浄化の日」のメッセージ
小原田泰久 著 KKベストセラーズ
「氣」の研究者として知られる帯津氏と中川氏と共にホピの聖地を訪ねる
旅にでた著者が改めて「ホピの預言」の重大性に気づく。私自身、以前から
ガン治療に東洋医学の可能性を持って実践している(埼玉県川越市にある
帯津三敬病院)帯津氏に興味を持っていたが、この本の中でもそれが紹介
されており、また同じく「氣」でも外氣功で有名な中川氏の言葉も載せられて
いる。そしてホピの伝統を多くの迫害に会いながら守り続けている一人の
長老 マーティン・ガスウィスーマ氏の日本人に宛てたメッセージも紹介され
ている。アメリカ・インディアンと「氣」という奇妙に見える組み合わせも「氣の
場」の調和という点では相通じるものがあるかもしれないと感じられた。本書
に出て来る「ホピの預言・偉大なる浄化の日」という映画を制作中であった
宮田氏が倒れたが、一日も早い回復を願わずにはいられない。
帯津三敬氏は1936年生まれ東大医学部卒業後、東大第三外科医局長、
都立駒込病院外科医長として、ガンの治療、研究に携わる。その後、治療
の一環として、気功・呼吸法を導入し、帯津三敬病院を開設。「ガンを治す
大辞典」など著書多数ある。調和道協会会長、日本ホリスティック医学協会
理事、中国北戴河気功康復医学院名誉院長を務めるが、何よりも病院の
道場で呼吸法・気功を自ら患者さんに教え、その気さくな人柄で患者さんの
精神的支えとなっている。
青木やよい著 PHP研究所
ホピ族の人々と長年にわたる交流をしてきた著者が語るホピ族の人々の
生き方。
青木やよい著 廣済堂文庫
ナバホ族とホピ族との最初の出会いを語る。続編が「ホピ・精霊たちの台地」。
いや、そんな哲学的めいた論争すらもはや必要ではない。このままでは
人類は、偶発的な核戦争か、環境および食品の致命的な汚染か、地球資源
やエネルギーの枯渇か、あるいは試験管ベビーに代表される生命の人工生
産や種の人工淘汰といった悪魔的な所業によって、この中のどれか一つで
もおこれば、簡単に、それこそマンモス以上に急速に滅び去るにちがいない。
この現実を前にした私たちにいま必要なことは、あれこれの小さな手直しに
気をとられるよりも前に、自分たちが確固不抜なものとして信奉してきた「二
千年の歴史の進歩」という考えを一度疑ってみることである。「文明的」という
時の、「文明」のよってくる意味を、根元的に問いなおしてみることである。
その時、未開社 会の無言の存在が、滅び去った無数の部族と死に絶えた
無数の人々のアルカイックな微笑と共に、私たちに何ごとかを告げるだろう。
いま、地球上の生きものの一つの種として私たち人類が存亡の岐路に立っ
ている時、そこに何をよみとるのかが、未来をひらく重大なカギとなるのでは
ないかと私は考えている。・・・本書<なぜ未開社会を語るのか>より
スーザン・小山著 三一書房
アメリカに住む著者が、アメリカ西部大平原をさまよいながら見つけた
日本とインディアンの共通分母を探る旅を記した書。
インディアンが近代技術力を発展させなかったのは彼等が劣等で、それ
を推し進める能力も知力もなかったからであろうか。少なくとも白人は自分
達が過去五百年にわたって先住民族に行った行為を避けられない歴史の
しわざであると考え、強いものが弱いものを薙ぎ倒し、優勢な文明が劣等な
文化を凌駕し、征服して行くのは人間関係の正当なルールであると言って
きた。それは本当だろうか。その白人の攻撃的な自然征服の論理に対抗
する原住民は、たえず自然との調和をめがけて来た。その野蛮なインディ
アンの心理構造には、大地、そして天地と人間の調和を乱してはならない
という心の牽制がつねに働いた。土地に深い愛着を持ち、その土地を場合
によっては人間の上に置く人々にとって、 土地を、母なる自然を経済活動
の目的、利潤をあげる手段として搾取することは、自らの精神の根本を
否定する天地への裏切り、創造主との約束の違反だった。原住民の幼稚
とも思われる数々の創造神話、伝説は、すべてこのような天地との約束の
物語、人間が自分に課したハンディなのである。日本にも「雪女」「おつう」
などの民話がある。これはインディアンの民話、ひいては伝承伝説のたぐい
と思想を同じにするもので、雪女はべつのところで述べた「とうもろこしの
乙女」とまったく同質の存在である。雪女に象徴される自然と、その約束を
破った人間の愚かしさの帰結を示して、調和を乱すまいと自らのいましめ
としている。それは欲望という怪物を野放しにしない用心であって、表面的
� �幼稚さを超えた深遠な哲学があると私は思うのである。つまり自然という
ものをつねに頭において人間生活に中庸を求め、そのバランスをつねに
図っているのがインディアン文化なのである。(本書より)
黒田征太郎・デニスバンクス著 毎日新聞社
画家・イラストレーターである黒田氏が、アメリカ・インディアン運動(AIM)
のリーダーであるデニス・バンクス氏との出会いを、黒田氏独特の絵を通し
て描いている。また本書に出てくるデニス・バンクスの言葉は風のように
自然と心を、あるべき場所へと運んでゆく感銘深いものである。
「心に響く言葉」1997.5/18を参照されたし
雑記帳「魅せられたもの」1997.5/30「禅と聖なる魂」を参照されたし
リチャード・アードス著 仙波喜代子訳
グリーンアロー出版社
アメリカ・インディアンの精神文化を最もよく知る白人の一人である著者
が関わった文献には、古典と言われる「レイム・ディアー(インディアン魂)」、
「アメリカ先住民の神話伝説」、「魂の指導者 クロウ・ドッグ」、「ラコタ・
ウーマン」などがある。1970年代にスー族の著名なメディスン・マン、
レイム・ディアーと知り合った著者はその後、深くインディアンと交流し白人
が立ち入ることが出来ない幾つかの儀式や生活を記録してきた。本書は
それらの記録を写真を交えて紹介するものであり、インディアンでない人間
から見た彼らの聖なるもの(ゴースト・ダンス、ヴィジョンクエスト、ユイピ)や
権利獲得までの苦闘が語られます。
ネイティブ・アメリカン・カイオワ族の物語と生活
高橋順一著 はる書房
20年前に文化人類学を学ぶ学生だった著者が、カイオワ族の文化と
言語を研究するためフィールド調査を行ったときの記録で、カイオワ族の
生活と物語を紹介する民族誌的エッセイである。非常に読みやすい文献で、
カイオワ族の伝説が独自の言語を失いつつある時代においても、それが
現代においてどのような形で生きているのかが語られている。私自身
「ブラック・エルクは語る」や「ホピの予言」など彼らの深い精神性に魅了さ
れたが、インディアン全体を美化しすぎている傾向が強く、あるがままの
インディアンの実像を正しく伝えていない側面もあるのだろう。その点、
この文献は研究者としての偏らない視線で書かれたものであり、彼ら
カイオワ族の文化や生活を知るうえでとても 興味深い文献となっている。
カイオワはその出身が謎に包まれた民族である。・・・・かつて私はこの
謎に包まれたカイオワの言語と文化を研究するために、オクラホマの地
を訪ねたことがあった。フィールド調査を行い、多くのカイオワと出会い、
多くの予期せぬ出来事に遭遇し、様々な心のふれ合いを経て、たくさん
のことを学んだ。本書に記すのはその時の物語である。
(本書「はじめに」より引用)
マーガレット・フイート著 スチュアート・ヘンリ監修
熊崎保訳 雄山閣
この文献は1967年に出版されたもので、グレート・ベイスンに住む
パイユート族の生活技術、白人入植以前の「伝統」時代の暮らし方を
記録に留めたものである。そこにはマツの実の収穫、カモ猟のおとりの
製作、毛皮のなめし方、繊維質で作る道具、ヤナギの枝を使った細工、
家の作り方、ガマとトゥーリで作る小舟など、野外で暮らす巧みな技術が
パイユート族の古老の写真などを通して詳しく紹介されており、大自然と
調和して生きる彼らの姿が浮かび上がってくる。
自然と共生する生き方を学ぶ
横須賀孝弘著 グリーンアロー出版社
この本のパート1では、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」など西部劇でおな
じみの「平原インディアン」を中心に、衣食住にまつわるクラフトを紹介
します。その多くは、あなた自身も作ったり試したりして楽しむことがで
きるものです。体験を通して、かつての彼らの暮らしをしのぶことがで
きます。また、実際に作らないまでも、その作り方を知ることによって、
それぞれのアイテムについてより深く知ることができます。昔の平原
インディアンの写真などを見るときも、従来とは少し違った見方ができ
るものと思います。パート2は、絵で見るインディアン生活術です。この
パートでは、平原インディアンのバイソン(野牛)活用術のほか、日本人
にも馴染みの深いインディアン・アイテムを ピックアップし、その基礎知
識を記しました。インディアン・ジュエリーやトーテムポールなど、あなた
が実際に作るのはちょっとムリでも、写真や映画でよく目にし、また、
日本でも実物に接する機会のあるインディアンインディアンの工芸・美術。
ちょっとした知識があれば、それらに接したときの楽しみ方もぐっと深ま
るでしょう。パート3は、インディアンの暮らしにまつわる雑学です。アメリ
カの文化に大きな影響を与え、日本人の日常の暮らしを豊かにしてくれた、
インディアンの生活術のあれこれを紹介します。(本書・まえがきより引用)
カラーイラスト 世界の生活史 32
フィリップ・ジャカン著 フランソワ・ダボ イラスト
福井芳男・木村尚三郎 監訳 東京書籍
アメリカ・インディアンの生活全般を豊富なカラーイラストで紹介している
本で、著者は「アメリカ・インディアン 奪われた大地」の書籍でも知られて
いるが、他の文献の記述と照らし合わせて見た時、事実誤認やある特定
の部族の習慣を全てのインディアンに適用している点など疑問が多く残る
書籍であると感じている。確かに著者のジャカンはインディアンの歴史に
おいては詳しいが、インディアンの生活や精神世界の領域に関して言えば、
それほど精通しているとは言い難い。勿論私自身インデ� ��アンに関しては
専門家でもないのでこの判断は見識のある方にお任せしなければならな
いと思っている。
国立民俗学博物館 編 昭和堂
カナダ先住民と言ってもオジブワ、モホーク、イロコイ、ヒューロン族など
アメリカ国境をまたがっている部族も存在するが、本書は主に北西海岸
(ハイダ、トリンギット)と極北(イヌイット)の先住民の芸術品を紹介している。
芸術品と言ってもただ単なる羅列に終わることなく、その意味、そして過去
から現代までの歴史を踏まえながら紹介しており、一つ一つの芸術品に刻
まれた彫刻や文様を通して彼らの精神文化の一端を知ることができる。
この文献は2009年9月から12月に大阪・国立民族学博物館にて開催さ
れた特別展にて出品されたもので、カナダ文明博物館からも多くの出品が
なされている。
とくに、後半部では、対照的ともいえるイヌイット文化と北西海岸先住民
文化の違いを示すとともに、それらに共通する人間と動物の関係など世界
観を紹介する。カナダの先住民社会では、人間と動物の関係はたんなる
「捕る・捕えられる」という関係ではなく、人間は捕獲した動物の霊魂に敬意
を表し、適切な儀礼をおこなうことによって、動物を再生させる役割を担って
いる。すなわち人間と動物の関係は生・・・・死・・・・再生という循環にもとづく
互酬的な関係である。
また、多くの先住民は、すべての動物には霊魂が宿っており、その霊魂は
人間のものと同じであると考えている。したがって、人間はクマやカリブー
(トナカイ)の姿に変身できるし、その逆も起こりうる。人間も動物� ��同様に
家族をもち、カリブーも家に帰れば毛皮を脱ぎ、人間と同じ姿で生活を送っ
ていると考えられている。つまり、人間と動物(広義の自然)は別々の存在
ではなく、一体化した存在でありつ言い換えることができる。したがって、
人間が動物(自然)を無意味に傷つけることは、人間自身を損なうことでも
ある。
これらの考え方は、イヌイットや北西海岸先住民の神話や昔話、アート作品
の間において広範に認められる。それは、すべての生命や自然を尊ぶ共生
の思想であり、グローバル化が進み、技術が発達した現代社会では等閑視
されがちな考えであろう。カナダ先住民文化の展示および本書が、今一度、
人間と自然の共生のあり方を再考していただく契機となることを願っている。
( 本書より引用)
プリシラ・コーガン著 ハーディング・祥子訳
めるくまーる
この本の著者のプリシラ・コーガンは、スー族のメディスンに精通して
いるチェロキー・インディアンの心理学者を通して、そしてこの小説の
主人公は一人のインディアンの老女を通して、インディアンの死生観や
心身を癒す方法を学んでいく。著者の実体験が色濃く反映されたこの
小説から、インディアンの豊穣な精神文化(特に死生観)の一端を知る
ことが出来るだろう。尚、本書はスー族の伝統的な教えに根差した物語
として、インディアンの読者にも好評を博しているとのことである。
ポール・ブロック著 だいこくかずえ訳
葉っぱの坑夫
「糸ごよみ」は著者ブルックのヤカマ・インディアン文化への長年の調査・
研究から生まれた作品です。ブルックが合衆国森林保護局のナチュラリスト
としてワシントン州で働いていたとき、ヤカマの文化について直接見聞きし
たことをもとにしています。ブルックの作品は「ロッキーマウンテン・レビュー」
「フライウェイ」「マグマ」などアメリカ、イギリス、アイルランドなどの多くの詩
の雑誌で発表されています。一人の人間の自我が自然界と結ばれることの
大切さを表わした作品が多く、それはまた昔のアメリカ・インディアン女性た
ちの物語ともかさなります。ポール・ブルックは現在アイオワ州エイムズに妻
のコーリーと住み、大 学で英語を教えるあい間に、ウォーター・ガーデニング
やバード・ウォッチングを楽しむ日々をおくっています。地方で田舎暮らしを
するのがなにより好きで、アイオワのこの静かな土地を愛しているそうです。
(本書 著者について より引用)
金関寿夫 文・訳詩 堀内誠一 絵 福音館書店
小学中級からの子ども向けに書かれた本で、読みやすいようにイラストが
多く、漢字には振り仮名がついている。インディアンって何?と問う子どもたち
にとって、本書はその全体像を理解し、親しんでもらうには最適の文献かも
知れない。金関寿夫さんがいろいろな文献からまとめたものが本書である。
本書 より引用
インディアンは、人間だけでなく、大地、岩や木、小鳥やけもの、そしてふく風
にさえ霊があり、心があることをしんじています。だからかれらは自然の事物
をだいじにし、動物や草や木にも、いつもやさしい気持ちでせっします。たとえ
ばナヴァホ族は、春になって大地に草がはえてくると、はいていたモカシンを、
わざわざぬいで、草の上を歩くそうです。春はみんなのお母さんである大地の
おなかの中に、あかちゃんのできる季節。だから、そのおなかをいためないよ
うに、はだしであるくのです。インディアンの古い物語には、よく人間と動物が
いれかわる話があるけれど、そういう考えは、人間だけがこの世でえらそうな
顔をするのをいましめているよう� �、とてもすばらしいと思います。
過去、現在、未来が溶け合う聖なる知識
ナンシー・ウッド著 フランク・ハウエル絵
井上篤夫訳 講談社
わたしたちインディアンでない者たちのほとんどは季節の魔術、大地の
精妙なリズム、自然界の日毎の恵に触れない。春、鳥が巣を作り、木々
が芽吹き、川が生命で膨れ上がる。だが、わたしたちはほとんど目を止
めない。こうしたことに注意を払うには忙しすぎるのだ。だが、わたしたち
は注意を払わなければならない。なぜなら、わたしたちは自然に、そして
互いに、しっかりと結びついているから。儀式を再発見し、それによって
自分を再発見しなければならない。自然との絆を日々強めることが必要
だ。わたしたちの中で昇る太陽を出迎え、沈む太陽に別れを告げる者は
少ない。月に吠える者は多くない。雨雲に、育ちつつあるトウモロコシに、
死の霊に歌いかけない。わたしたちは自分 のルーツから離れて漂い、
憂鬱が蔓延している。いまこそわたしたちは、聖なる中心とのつながりを
もう一度確立し、ひとりひとりに意味のある儀式を作り出さなければなら
ない。ここに収められた詩は、それ自体が儀式である。できれば、木の
下で、あるいは小川のほとりで、ひとりで読んでもらいたい。これを読ん
だら立ち上がって踊りたい、歌いたいという気持ちになってほしい。ある
いはまた、あなたもシャーマンの聖なる環の中に入ってあなた自身の詩
を書いてほしい。そこではどんなことでも起こりうるのだから。
(本書・まえがきより)
サン・ベア&ワブン著 小林加奈子訳 VOICE
自然界の精霊達に耳を傾け、それぞれの持つヒーリング(治癒)効果、
霊的意味を書き記した書で、主に生まれ月による処方箋を記している。
またこの著者達は「インディアンの大予言」という本も書いている。
チェロキーインディアンからのメッセージ
薗田 綾著 総合法令
ホーク・フー・ハンツ・ウォーキング(歩きながら狩りをする鷹)の知恵・預言・
癒しの教えを、著者が忠実に紹介している。彼の慈愛に満ちた言葉が心に叫
びとして残り、聖なる芳香に包まれる。傲慢な人間が繰り広げる、母なる地球
への、そして大地に共に立つ生命への殺戮・暴力。まさにホーク・フー・ハンツ・
ウォーキングの言葉はこの苦しんでいる地球と、そこに生きるすべての生命の
声の代弁である。この彼が日本の人々に送った「未来へのメッセージ」をお読
み下さい。
雑記帳「魅せられたもの」1997.5/4「プレアデスの智恵」を参照されたし
雑記帳「魅せられたもの」1998.4/20「父は空、母は大地」を参照されたし
天空の果実・「インディアンに語り継がれてきたプレアデスの伝� ��」
メディスン・ストーリー 著 大坪奈保美訳 地湧社
インディアンに伝わる伝説・英知を交ぜながら、著者の個人的体験の言葉・
「愛」・が優しく心に響く。「愛とは、美と同じ霊源から湧いてくる感情」で在ると
共に「愛とは聖なる輪の意味である」、そしてこれらの教えは「自然を見つめれ
ば、誰にでもわかる」ことと断言しています。著者はナブスコセット族のメディスン
マン・ストーリーテラーとして世界中でセミナー活動を行い、無報酬で刑務所を
回りつづけています。
アメリカン・インディアンの世界
写真・文 菊地東太 新潮社
アメリカ先住民のパウワウ、住居、食、ヒーリング、自然と人間について豊富
な写真を織り交ぜながら紹介している文献である。著者は27年にもわたって
アメリカ先住民について取材し、特にナバホのトレーシー一家との深い交流に
より彼らの日常的な生活の場面をも記録している興味深い文献である。
アメリカインディアンのアートを楽しむ
ファッション・メモ特別編集 ワールド・ムック263 ワールドフォトプレス
ドリームキャッチャー、メディスンバックなどに込められた伝説と意味、そし
て多くの素晴らしいインディアン・ジュエリーを芸術家の紹介を交えながら
掲載している雑誌です。この雑誌の特徴は国内のインディアン・ジュエリー
専門店28店を詳しく掲載している所ですが、どの作品にもインディアンの
伝統文化を背景に、一人一人の芸術家がもつみずみずしい感性が織りな
した世界観、そしてそこに込められたメッセージの存在があります。だから
こそ普通のジュエリーには感じられないなにものかを感じてならないので
しょう。
ワールド・ムック281 ワールドフォトプレス
インディアン芸術あるいはインディアン・クラフトは多岐にわたっている。
ジュエリー、壷、ビーズ、ドリームキャッチャー、フェティッシュ、ドラム、
カチーナ、バスケット、ラグ、サンドペインティング、彫刻、ストーリーテラー
などである。この文献の特色はこれらインディアン・クラフトが生まれた背景
を踏みながら、数多くの作品を解説と共に紹介しており、また実際に何処で
手に入れることが出来るのかを読者に提供しているところにある。インディ
アン芸術に関心がある人々にとって、その作品がどのような背景を持って
産まれてきたか、そのデザインにはどのような意味が込められているのか
を知りたいと思われるに違いない。その意味でこの文献は多くの情報を伝
えてくれるに 違いない。
インディアンの聖なるサバイバル術
トム・ブラウン・ジュニア著 斎藤宗美訳 徳間書店
自らの生涯を、あるべき未来を築くため、そして平和の道具として貫き
とおしたグランドファザー。精霊の啓示により63年間放浪し、あらゆる
部族から学び続けたグランドファザーが、その最後の時間をかけて7歳
の著者に古来の道を10年にわたり教えていく。本書はサバイバルや
トラッキングという技術を通して、大自然の精霊との交わりや、多くの生き
物と調和した生き方を魂に刻んでいく著者の心の軌跡を記した自叙伝で
ある。その後、行方不明者の探索で有名になった著者は全米最大の
サバイバル学校を設立し、グランドファザーが託した願いを次の世代へ
と引き継いでいく。生涯をかけて大地との絆・真理を探求してきた偉大な
グランドファザーの息吹が、多くの人々の心に流れ続 けますように。そし
てどのような世界が待ちうけようとも、古来の道があるべき世界・未来の
扉を指し示すことができますようにと願わずにはいられません。尚、本書
を訳された斎藤宗美さんは「アチレア自然&サバイバルスクール」を主宰
されています。
エベリン・ウォルフソン著 ウイリアム・サウツ・ボック画
北山耕平訳 アスペクト
私たちは、この世界を、そしてこの地球の未来を荷う子どもたちが、今
深刻な悲鳴をあげ、社会自体もどのような対応をしていいのか全く読め
ない時代に生きているのかも知れない。きっとこんな時は、原点に立ち
戻って考えることが最善の方策なのかも知れないと、この文献を読みな
がら強く感じてならなかった。それも勇敢でありながら、慈悲の心を兼ね
ていたインディアンたちがどのような子育てをしていたのかを知ることは、
問題解決の足がかりを与えてくれるだろうと思う。それはまた私たちも
遥か遠い昔に同じ視点で生きてきた記憶を呼び覚ますことにもつながっ
ていくのかも知れない。
この本では、インディアンの子どもたちが赤ん坊のときにどのように
大切にされたか、また成長する過程で、自分たちの文化を残すことを、
一族の長老たちの語る話を聞いたり、大人たちのすることを観察した
り、実際にそれらを自分でやってみることから、どうやって学んだのかを、
あなたに伝えます。インディアンの子どもたちがどんなゲームをして遊ん
でいたのか、どんなおもちゃで遊んでいたのかも、書かれています。彼ら
の暮らしぶりや、普段なにを着ていたのか、大人になる準備のためにど
んなことをしたのかについても、説明します。インディアンと呼ばれる人た
ちは、暮らしぶりこそ昔とまったく違ってしまったかもしれませんが、現在
でもなお、彼らに残された古い文化のある部分 を大切にし、それを満喫
しながら生活しているのです(本書・まえがきより引用)。
生と死、神・宇宙をめぐる証言 ロバート・コールズ著
桜内篤子訳 工作舎
ピューリッツァー賞受賞の児童心理学者による世界の子どもたちの心
のフィールドワーク。ホピの少女、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の
少年少女、そして信仰をもたない子どもたちは・・(帯文)
子どもが霊的な問題をどのようにとらえているのかを探る今回のプロ
ジェクトで、このようなやりとりが、大きな意味をもった。われわれは、
特定の宗教を信じ、その習慣を守っている子どもたちから話を聞くと
同時に、教会やモスクやシナゴーグで教えられなくとも、神や超自然的
なもの、人生の究極の意味、物事の聖なる部分に興味を抱いている
子どもたちの意見も聞いた。その中には、不可知論者や無神論者の
息子や娘もいたし、信仰篤い家庭で育ちながらも、家族� ��宗旨にそぐ
わないような超自然的な疑問を抱いている子もいた。そのような子の
考えは、多くの場合、私の息子が日曜学校の先生から学びとったもの
に近かった。彼らは、組織された宗教を厳しく批判する。一方で、洞察
力に富む考えを表明した。大人の場合と同じように、子どもの道徳観と
宗教観も重なる部分がある。教会へも行かず、宗教的な教育にも無縁
な子どもの多くにおいても、宗教的体験と霊的体験が重なる部分がある。
ボストン郊外に住む12歳のある少女はこう言っていた。「神様はだれな
のかって考えるの。大昔の人がつくりあげただけの人なのか、もし本当
にいるなら、わたしたちにどういう人間になってほしいと思っているかと
か。」 本書で強調したいのは、子どもたちが特 定の宗教をどのように
信じ、その教えをどのように守っているかではない。むしろ、子どもたち
がその霊的な世界を見せる瞬間を示したい。非常に俗っぽい面を見せ
たかと思うと、次の瞬間、神とか魂について深く考えることができる子ど
もの姿を見せてほしいのである。(本書・序 より引用)
元気になれる、7つのルール。
作 木戸寛行 画 華丸 小学館
過労死寸前まで追い詰められた著者が、インディアンの言葉に出会
い決死の覚悟でアメリカに旅する。その目的は前代未聞のインディアン
から名前をもらうことだった。何の準備や用意もなくアメリカの立った
著者は、200人の人たちの縁を通してナバホの地に立つことになる。
そして自分がここへきた意味を数時間かけて政府重鎮の前で必死に
訴え、日本人としては初めて彼らから「たくさんの言葉を操る少年」とい
う意味のインディアン・ネームを与えられる。本書はそのような経緯を
辿った著者が、疲れた現代人に送る優しい癒しのメッセージであり、
画はイラストレーターで有名な華丸氏が描いている。
元気になれる、7つのルール。
単純で、いい。
自分からきれいになれば、いい 。
空を見上げれば、いい。
内なる声に耳を傾ければ、いい。
もっと遠くへ行けば、いい。
手をさしのべてもらえば、いい。
あなたの物語を編めば、いい。
インディアンになりたかった。
大空を飛ぶイーグルのように 人生を自由に生きていく。
自然と共に 自分の魂にただ忠実に
あせらず 屈せず 裏切らず 希望を持って生きたかった。
そして僕は 旅に出た。
本当の自分を 見つけるために、インディアンに なるために。
(本書 帯文より引用)
アメリカ先住民 癒しの文化の深層
河合隼雄著 朝日新聞社
臨床心理学やユング心理学で著名な河合隼雄氏による文献で、神話が
科学技術に置き換わったことによる魂の破壊が如何に行われてきたかを、
ナバホの民(メディスンマン)との出会いを交えながら語られている。また
この問題は現代日本にも課せられた課題でもあると認識されており、その
解決策を探る道をナバホの世界観を参考に模索している。前述したように
河合隼雄氏はユングの文献を多数書かれているが、ユング自身も東洋の
世界観などに強くひかれていたようです。下の文はユングがインディアンを
訪ね、その世界観に衝撃を受けた様子を紹介したものです。
「古代人の神話は、彼らを彼らの世界によりよく適応させてくれる方策で
あったのである。ユングの言い表そうとしたことの例として、彼がニューメキ
シコのプエブロ・インディアンを訪ねたときの経験から引用することができよ
う。この人々は太陽が自分たちの父であると信じている。その上、彼らは、
自分たちの宗教儀式を行うことによって、太陽が毎日空を横切る旅を遂行
するのを助けている、とも確信していた。これらの儀式を几帳面に果たすこ
とで、彼らは、それゆえ全世界に貢献しているのである。そしてもし彼らが
愚かにもそれ怠ったなら、「十年たてば太陽はもはや昇らなくなるだろう。
・・・・永遠に夜が続くだろう。」ユングのこれに対するコメントは、以下のよう
である。「その� ��き、私は個々のインディアンに見られる「気品」と静かなたた
ずまいが、何に由来するかがわかった。それは太陽の息子であるというこ
とから生じている。彼の生活が宇宙論的意味を帯びているのは、彼が父な
る太陽の、つまり生命全体の保護者の、毎日の日没を助けているからであ
る。」 神話は、・・・・たとえ客観的真実ではなくとも、重要な建設的機能を
勤めているのである。「ユング」アンソニー・ストー著 河合隼雄 訳より引用
文・写真 ぬくみちほ 理論社
ナバホに何回も逗留した著者による体験記で、素直で飾らない文体は彼ら
ナバホ族も私たちと同じように、今この空の下に生きていることを感じさせてく
れる。ぬくみさんの著作は他に「ナバホの人たちに聞く」「うさぎあそびうた」
「カラスとよる」「ホワイトサンズ 白い風 白い時」があり、訳書として「俺の心
は大地とひとつだ」、「ナバホ・タブー」、「クレイジー・ホース」がある。
私は何に急いでいたのだろう。ゆっくりと通りすぎる景色のなか、アメリカへ
来る前も来てからも、何をするにも自分は飛ばしすぎていたのではないかと思
いはじめた。ナバホに来てから見かける人たち、道を教えてくれたおじさん、
オフィスの女性たち、みんなみんなおっとりしている。人だけではない。地平線
までつづく空も、大地も、ゆったりとしている。 (本書より引用)
桐野伴秋・写真 NANA・文 講談社
「アリゾナの宝石」ともいわれ、雄大な赤い岩山に囲まれた町セドナ。古来
よりネイティブ・アメリカンの聖地であり、近年はスピリチュアルなパワー・
スポットとして注目を集める憧れの場所です。大地のエネルギーを感じる
「ヴォルテックス」の景観や「レッドロック・フィーバー」の魔法を独自の表現で
描き撮った写真家のベストショットとセドナ在住のアーティストが紡ぎだす惑星・
地球への賛歌!(本書・帯文より引用)
本間正樹著 文芸春秋
ナバホ・インディアンと共に暮らした著者が語る素朴なインディアンの素顔。
エリコ・ロウ著 扶桑社
エンヤという私の好きな歌手はアイルランド生まれですが、その大地の
波長をそのまま音楽にした旋律は、ケルト文化を漂わせていると言います。
このケルト文化を知りたかった私が偶然出会った本です。
目次プロローグ 癒され満たされる旅への誘い
第一章 古代エーゲの癒し アトランティス伝説 天地の創造 死と再生の迷宮
地母神の領分 野性の女神たち ヘルスリゾートの源流 古代ギリシャの夢療法
奇跡の小島 ディオニュソスの処方箋 自然と暮らす
第二章 ケルトの叡智 神族と妖精の王国 季節と生命の巡り 魔女の跳ぶ丘
知恵の鮭 ケルト・アートの神通力 巨石の神殿 アバロン伝説 聖なる癒しの泉
知恵の木の教えケルト精神の系譜
第三章 ネイティブ・アメリカンの教え 風神の息吹き 地母神の鼓動 水の清め
創世記の教訓 岩絵の伝言 草木のメディスン 大地の癒し 転生の暗闇
聖なる輪 心の聖域 エピローグ 聖地の継承
エリコ・ロウさんのブログ「マインドフル・プラネット」
北山耕平 著 太田出版
北山さんが探し続けている日本人いや縄文人としてのルーツ、その想いが
この本に書かれています。この本の中で失われた物語という言葉を使ってい
ますが、ユング心理学者の河合隼雄さんも「失われた神話」という言葉を使っ
てルーツを取り戻すことの必要性を説いています。ただ感じたのですが、私が
幼少のころ育った奄美大島とか沖縄、そしてアイヌの人たちが持っていた視点
はインディアンと同じものだということも忘れてほしくないとは思います。縄文時
代に遡るまでもなく、先住民族が共有していた視点は今でもこれら日本の地に
受け継がれていると思うからです。しかし北山さんの言うように近代文明によっ
て着実にそれらの目が滅ぼされようとしているのも事実� ��と思います。その意味
で「自分は何者であるか」という北山さんの問いかけを、自分自身も含めて問い
直す時期にきていると感じさせられました。
わたしたちは「アメリカ・インディアン」になることはできない。だが、日本およ
び日本人という夢から覚めれば、いつでも「地球に生きる人」となることができ
るのだ。大地を敬い、目に見えない世界を知る「ネイティブ・ジャパニーズ」とし
ての生き方を探求し続ける精神的な旅人のための、最初のログブック。「日本
と日本人」論をこえて。(本書・帯文より引用)
ロバート・ブラックウルフ・ジョーンズ+ジーナ・ジョーンズ著
加藤諦三 訳・解説
この本には悩みや苦しみに対処する時の考え方が書かれている。それは
ネイティブ・アメリカンの生きる知恵である。人間は、嬉しさいっぱいだけでは、
生きてはいけない。それが生きることの原点である。生きていくうえで寂しさ
や苦しみはいつもつきまとう。でも、苦しさも、寂しさも、生きている証なので
ある。不安、苦しさ、寂しさなどを抱え込んでごらんと、ネイティブ・アメリカン
は言っている。生きていくうえで嫌なことは誰にでもたくさんある。「嫌だなぁー」
と思うことは誰にでもある。しかし、それも生きている証である。苦しみも、悩み
も、背負わなくては人は生きていけない。月のやすらぎがなければ、太陽のよ
さも分からない。太陽がギラギラと輝いて暑� ��なと感じる人もいる。それはその
人の心が決める。この本に書かれている詩は断片的なことのように思えるが、
多くの詩が一つにつながっている。つまり、悩んだ時には止まれ、と言っている。
このような本を急いでどんどん読み進めることはない。一日に一頁でもいい、
味わって読むことである。本書「この本を手にとったあなたへ」
訳者まえがき より引用
加藤諦三著 にっぽん放送出版
ラジオ放送を通して大きな反響があった「アメリカインディアンの教え」の続編。
「白人はインディアンから何を学ぶか」ジョージ・オートン・ジェームス著の考え方
を基にして加藤氏が自分の言葉で書いたものです。ただ現在のインディアンは
加藤氏が言うように心身ともに健康とは言える状況にはないと思います。元々
の文献「白人はインディアンから何を学ぶか」は100年前に書かれた本であり、
現在インディアンは心身ともに病を持った方が多いと聞きます。心の問題として
は、自己基盤の喪失によるアルコール中毒や子供への虐待、自殺の多さがあり、
身体の問題として肥満などが社会問題化しています。加藤氏が想定しているの
は今から100年前のインデ� ��アン像であることを先ず押さえる必要があるかと思
います。
本書 はしがき より抜粋引用いつも自分のことを嘆き悲しんでいる人に必要
なのは「インディアンの教え」です。インディアンの辞書に自己憐憫はありません。
「神は、私に変えられないことを微笑んで心静かに受け入れられる力を与えてく
れた。そして変えられることは変える勇気を与えてくれた。そして変えられることと
変えられないことの違いを見分ける知恵を与えてくれた」 これはアメリカにいた
時に土産屋で買った色紙に書いてあったものです。「インディアンの教え」によると
インディアンは悲しい時、悲しみを大げさに言うかわりに、常に働くことで悲しみを
最小にするといいます。悲しみを誇示するのではなく、喜びを大きくすることで悲し
みを小さくするのです。私達は、失恋し� �情熱的な南米のリズムに自分を委ねる
ということをしません。「喜びを大きくすることで悲しみを小さくする」こともなかなか
できません。だからこそ、このことをインディアンに学ぶことは大変意義のあること
だと思うのです。
山下マヌー著
幸せと成功、出会いを運ぶ精霊「ココペリ」がネイティブアメリカンの生き方
を解き明かす。◎毎日が新しい人生のはじまり。先のことを考えるのは意味
のないこと。◎自分を愛することを毎日練習する。自分を愛せないのなら、
誰からも愛されることはない。◎別れても失うのではなく、違う方向に進むだ
けである。彼らの言葉はしあわせの鍵、明日を強く生きるヒント
(本書 帯文より引用)
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